プロジェクトに関わっていて、通らない提案事項がありました。
通らないこと自体に憤りを感じることはありません。
仕事は提案すること、その瞬間に全力で通すことだけです。
しかし、被提案者の方が、採用されなかった提案事項を後々になって必死に調査したり取り組もうとすることがあります。
そんな様子を見かけると、あのときに受けて決断する能力があったら未来が変わっていたのになと。
決断しなかったりできなかった人を責めるつもりもないのですが、ゆく川の流れのごとく眺めています。
チャンスの前髪をつかみそこねた様子をみて感じるところをまとめます。
人も企業もその生でつまずいた石にもう一度つまずくこと
つかみそこねたことにもう一度つまずく人なり企業なりに出会います。
一度つまずく課題というのは、人生の課題。
近い将来にも、よくつまずくものです。
一つの課題が手を替え品を替えやってくる。
だからこそやってきたときに対処をしていくことが望ましい。
いつかの未来の自分や組織に対応してもらおうとしても、未来の自分や組織も先送りしてします。
直視することで全てが解決できなくても、本質が同じ問題への取り組みはしていきたいところです。
提案することには適切な時期があること
提案側の私にも、改良する点があるなと。
提案時期を適切に選ばないといけないことです。
私のタイミングと相手のタイミングは違う。
本当に聞き入れてもらいたかったり考えてもらいたかったりするときは、提案を通すという大きな視点で、内容だけでなくタイミングも選ばないといけない。
農家の方が適切な時期に種植えをするかのごとく。
提案時期も考えるべきだったと。
提案してみなければ適切な時期ははっきりしません。
すでにしてしまった提案についての後悔もありません。
ただ、振り返れば、時期への工夫を内容と同じくするべきでした。
無策の策は、経営の不在
ただ流れゆく問題を眺めていることは、やはり経営ではない。
ゆく川の流れを変えるほどの情熱を注がなければ、経営ではない。
実際に流れは変わらなくても、注ぎ続けることが大切だ。
無策の策という言葉。
松下幸之助さんが以下のことを言っているために、無策の策という言葉があるのでしょうか。
ときおり、策がないことの言い訳で見かけます。
善意の策も悪意の策も、策は所詮策にすぎない。悪意の策は、もちろんいけないけれども、しかしたとえ善意に基づいく策であっても、それが策を弄し、策に堕するかぎりは、悪意の策と同じくまた決して好ましい姿とは言えないであろう。つまり、何事においても策なしというのがいちばんいいのである。
何について言及した文章か、この抜粋のみをとるとはかりかねるものです。
そして、何かよくわからない文章を持って正当化の材料にするのは、いただけない。
ゆく川を眺めているだけでは経営ではない、と再認識します。
人災はある
会社法などしていると、防ぎきれなかったことなのか、責任の所在があることなのか、争われているケースを見かけます。
責任がないことももちろんあります。
ただ、経営の責任を全うしないために発生する事象もみかけます。
上手に影響お互いにしながら、良い人生や組織を作っていきたいものです。
【編集後記】
求人は横ばい。転職者意向は高まりつつあるのがこの4月の中途状況です。
4月の変わり目、求人が横ばいなのは当然ですから、あまり気にするところではありませんね。
【運動記録】
ジョギングX ストレッチO 筋トレO サプリO
【昨日のはじめて】
宇治抹茶モンブラン
【昨日の子育日記】
踊るのが好きで、自然に踊ってくれます。
自然な状態で踊る。人は踊るようにできているんだと、思い出させてくれます。
一緒に踊ろうと言われると、ちょっと照れくさいものですが、できる限りがんばります。