音声コンテンツは頭が疲れると感じるのはわたしだけか

音声コンテンツが便利で、よく使います。
でも、頭の運動量をそこそこ使うので、長時間聞くと、その後の集中力を奪ってしまいます。

最近は、購読していた有料のコンテンツをひとつやめました。
その方が一巡してだいたい言いたいことを言い終えた感じがするからです。

身近に聞こえる(といわれる)良さがある一方、そこそこ集中力を奪うので、使うにしても上手なバランスが必要です。

 

*静かな時間を得るために

もくじ

頭が疲れる

ずっと聞いているというのは、頭の体力を使います。
具体的には、頭が疲れるのです。

人の話ってどれくらいを集中して聞けるでしょう。

スピーチとかでいけば、3分程度でも十分とか感じませんか?
音声コンテンツは3分どころか、10分やら20分やら使います。

もちろんためになると感じてそれを聞くのですが、引き換えに集中力を消費します。

音声コンテンツが流行っているとか、その利便性ばかりが先行して紹介されますが、実際に使っていると、負の側面として集中力を奪うことは、あまり紹介されません。

紹介されないので、このような状態になっているのはわたしだけのかと思わせられます。
おそらくはそんなことはなく、一定数疲れる人もいるでしょう。
(反面、疲れずにずっと聞ける方もいるでしょうが)。

学習スタイルが聞くを中心に組み立てられる人だと、このような音声コンテンツはとても有益かもしれません。

音楽をやっていて、言語以外の聞くのにムダな情報を得てしまうせいか、やはり得る情報と引き換えに何かを提供している感じがしています。

何かを練り上げる時間がなくなる

頭の体力消費の他に、考える時間を奪うというのも、ひとつの問題点です。

時間がある人であれば、それでも調整が可能でしょう。
でも、調整できない場合は、聞く時間は考える時間を奪うことになります。

無音の時間を奪うからです。

無音は、ムダというのは、要検討でしょう。
思考は2つのことを一緒には追えません。

たまにやる実験ですが、「考えているわたし」を考えることは可能です。
でも、「『考えているわたし』を考えているわたし」を思考で捉えることはできません。

思考が二重で存在できないからです。

ながらで、2つのことができるという人もいるでしょう。
その方であっても、思考が並列しているのではなく、直列が小刻みにスイッチングしている状態であるというのが、正しい表現です。

 

手軽だが取捨選択

音声コンテンツはとても手軽で有益です。
でも、頭を疲れさせ、集中力を奪う側面があります。
また、時間を奪うものでもあり、無音の時間=考える時間を奪います。

手軽に聞けるので、聞いて、自分が考えている錯覚に陥らせるものです。

聞いて学ぶ、聞いて情報を得ることもあるでしょうから、すべてが悪とは断罪できません。
でも、昨今の流行りが手放しで素晴らしいものとみせるほど、何も引き換えにせずに使えるものでもありません。

もし、音声コンテンツはいいのだけど、ちょっと疲れるという人がいれば、共感します。
必要なものとそうでないものと、上手に取捨選択が必要です。

【編集後記】
保育園の閉鎖が増えていて、やりくりに苦労します。
他の父母の方も、いろいろお願いしたり、大変なようです。

【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○

【子育て日記(4歳・1歳)】
朝見て、夜見て、それだけでも成長します。
下の子がイスの上に立って踊っていました。
危なくない感じで、バランスもしっかり取れています。

面白いので、しばらく眺めていました。

もくじ