子どもの成長を見ていると社会的な欲求があることに気づきます。「仲間になりたい気持ち」と呼んでいます。成長のために必要で感じてもらいたいものです。過度は不要ですが。
また、そのような仲間になりたい気持ちを子どもに幼いうちから示してあげると、自分も忘れていたコミュニケーションに戻ってこれることがあります。
仲間になりたい気持ち
ご飯をしっかり食べさせてお腹いっぱいの状態でも、こちらがその後食事をすると欲しがる時があります。見ているから食べたいというわけではなく、ここでは「同じ行動を取りたい」=「仲間としての行動を取りたい」=「仲間になりたい気持ち」が感じられます。
年齢が上がっていくにつれてそこまで感じませんが、一緒に何かしたい、一緒に何か食べたい、一緒に何か笑いたい。こういった価値は実は結構高いんだと気づきます。
社会人になった男性は旧友程度しか自己開示の相手もなく、会社等のつながりを除いてしまえば大した付き合いもできていないという指摘を目にしたことがあります。
誰かに依存をしたいわけではないので社会人になった後、過度に仲間になりたい気持ちを持つ必要はありません。
ただ、一緒に何かを誰かと行う喜びを忘れている人は、子どもとその気持ちを取り戻すと一つ若くなることができます。
仲間にしてやっているのではなく、こちらも仲間になる気でいく
単純な年齢の違いやパターナリズム的な観点からは、両親が子どもを迎えるでしょう。
でも、仲間になる気持ちをもう一度つかみ直そうと考えれば、私が子どもの仲間にしてもらうつもりで接することも良いです。
独りよがりだったり一方的だったり。子育てをしていると、自分の思い通りにならないためにストレスを受けている人も多く見かけます。余裕がないときに、自分が仲間にしてもらおうなんて気持ちで接することはできないでしょう。
ストレスと上手に付き合って、気がついたときに仲間にしてもらうように遊ぶと楽しいです。また、幼いうちに子どもとの小さな時間を大切することが、これからの関係性やイベント事を一緒に楽しむ下地になっていきます。大きくなってから急に仲良く、は難しいでしょうから。
幼くてもその歴史を大切にする
子どもや年次の浅い人をみると、アラも目立つかもしれません。ただ、その幼さがあったとしても、その人の歴史の集大成が今ここにいる姿になっています。
相手の良さを一つ一つ大切にし、その歴史を大切にしたコミュニケーションがお互いの欲求を満たすほど良いつながりを作ることになるのではないでしょうか。
幼くても、その歴史を大切にしてみましょう。
【編集後記】
この子にとって、毎日が新しいものになるように。明日が今日の延長線を超えたところにあるように、子どもと一緒にとらえたいです。
【昨日のはじめて】
獺祭スパークリング
【子どもと昨日】
子どもに見送りをしてもらう時が、日々さみしいです。いつも悲しそうな顔をしてくれるので、好かれているという良い面の裏返しと取ることもできます。と言いつつ、あっという間に大きくなってしまうかもしれませんが。