「自分の好きな自分になる」というのは、多くの人が求めることです。
自分の理想に近づくということですから。
ただ、社会で生活していれば、気持ちに制限がかかります。
こんな状態でいいのか、こんなことしていていいのか、他の人と全く違うなどなど。
でも、他との比較はどこかの箱に収まっているときにはしやすいです。
型にはまってきゅう屈になって、うまくいかないときに、はみ出てはいけないと意識させられます。
逆に、はみ出てくると比較がしにくいことをよく感じます。
比較を感じなくなれば、先程のきゅう屈さが減ります。
型にはまらないことをわざわざススメるわけではないです。
ここで言いたいのは、少し自信をなくしたときなど、「自分の好きな自分になろう」と言い聞かせるとよいということです。
自由になるべきか、なろうとすることか
社会は自由を求めているんだと感じます。
もっといえば、この社会にいる個々人は自由を求めていると。
権利を認めてほしかったり、自己決定権を持ちたがったり。
でも、自由はいつも選べるものではありません。
どこかに勤めていれば、上司に頭を抑えられることがあります。
独立していても、どこからも自由ということはなく、一定の制限を課されるところでしょう。
ここで意識したいのは、自由は、幸せになる目的ではないということです。
自由を欠いていても、心のあり方によって自由になれるものです。
自分の好きな自分になろう
絶対的な自由は、「自由からの逃走」と言われるように、自由の刑に処せられるがごときものです。
自由にに至るまでのプロセスを含めて、自分の好きな自分になろうとする過程こそが、自由の価値を一番感じられる状態かもしれません。
どこかに抑えられているからこそ、自由の価値を感じられるのか。
抑えがなくなっても、きちんと自由の価値を感じられるのか。
どちらであるにせよ、もしあなたが何かに迷っているなら、自分の好きな自分になろうと伝えたいです。
自由に意思決定できる期間は案外短く、お金がなかったり元気がなかったりで、バランス良くこなせる瞬間はあまり長くありません。
やりたいことがあるなら、早めに少しだけでも取り掛かってみるって大事です。
年長の方にこういった言い方をしたときには、「まだまだ長いから」と言われました。
でも、その方が逆の立場だったときには、反発していたことでしょう。
改めて、少し落ち込んだときなど、自分の好きな自分になろうと気持ちの中で自分に伝えてあげてほしいです。