明確な目的を当然持って動ける場合だけではありません。
目的がないという場合もあります。
ブログを始めようというのは、目的があってというよりも、それ自体を目的として行う場合だってあります。
手段が目的になってはいけないという批判はあります。
でも、その批判を真に受けると、いつまで経っても始めることができません。
動きを止めると、結局現状と変わらない状態しか続きません。
動いてみる、そして、無目的ということにちゃんと気づくことが次の一手です。
ブログの目的がないことをないとはっきりさせる
ブログを続けることで、まずは「ない」ということをはっきりさせます。
ぼんやりしていた目的で進んでいるという状態を認識します。
目的がないという状態は、けっこう宙ぶらりんで不安定なもの。
不安定な状態を続けるというのは、けっこうな負荷になります。
どちらかの状態に転びます。
それは、やめてしまうか、目的をしっかりと持って続けるようになるかです。
ここで続ける意味として、しっかりと目的を持つように転ぶような狙いを持ちます。
続けてみるということは考え続けること
「続けてみる」良さは、考え続けることにつながることです。
うまく答えがでないという状態があれば、いずれ考えることが止まってしまいます。
うまくいかない状態で考え続けるというのは、かなり大変なことです。
そのうまくいかない状態でやめてしまうのではなく、うまくいかない状態でも続けてみるというのはひとつの方法であるといえます。
目的があってもなくてもいい
続ける上で、目的を明確にしたいという意識が出てくる
気持ちの上で着地点を求めようとする
このように、続けることで方向性をはっきりさせようという意識が出てきます。
ブログを続けるつらさはあるのですが、つらさに向き合えば、どうやったらつらくなくなるか、考えるに至ります。
どのように動くかはわかりませんが、続けて挑戦して動きをつけなければ、次の目的地にたどり着けません。
一時期は、つらくても続けてみるというのが、ひとつの方向性なのかと感じます。
【編集後記】
引き継ぎを少しずつ。
なんやかんや、うまくいってほしいと感じるものです。
やりやすいように、自分の役割も柔軟に変えつつ引き継ぎをしていっています。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○
【子育て日記(4歳・1歳)】
下の子がやたらと踊りだします。
音楽や身体を動かすことへの情熱があるのでしょうか。
そういう習い事でも考えようかなと。