日本人はブレインストーミンが苦手です。それは、教育の方法が唯一解があると教え込む根底で「間違ったアイディアを発信することが悪い」を発しているからです。しかし、考える過程を出すと、自分の考えをまとめることに役立ちます。チームであればチームの考えをまとめることに貢献します。
この点を意識して、過程を提供してみましょう。
社会に出てからの問いに唯一解はあるか
問いに対して答えが一つしかない場面、社会に出ている方なら多くないことを実感するでしょう。しかし、学校の現場では、唯一解があることがほとんどです。たまにない問題も見かけますが、入試で解答が複数あれば不適切な問題と見なされます。
昔の小学校時代を想像してください。先生は、
「この問題が分かる人?』
と質問をします。この問いかけ方は、
(この問題の正解が分かる人以外は発言しないでね)
を意味してきます。
この教育をされ続けていると、「間違った答えや不確実な答えを口にすることはいけないんだ」という意識が出来上がります。
考える過程の提供はチームへの貢献
これに対し、アメリカで考えると、分かっていなくてもどんどん発言していく様子がみられます。ハーバード白熱教室なんかを想像してみましょう。あっていてもあっていなくても、大教室の中で可能性に向かってどんどん発言をしていってます。
意見の中には解答から程遠いものも出るものです。それでも前の人の意見のこの点が足りなかったと分かることが、次の人への貢献となります。どんどん発言を積み重ねる。その上で答えに向かっていく感覚があります。
決まり切った答えに向かうのであれば唯一解を求める日本人主流の方法でアプローチして構いません。でも、それは高度経済成長の時代のやり方です。その時代は答えが決まっている。効率よく大量にものを作れば売れた。そんな時代には答えに瞬時にアプローチできる人材が有能でした。
場づくりとこれからの発想方法
一方で今の時代は、作れば売れる時代ではありません。創造的なもの、人とは違うもの、新しいものを作っていく必要があります。そういったものには、画一的なアプローチで唯一解にたどり着く方法では対応できません。
論理性を無視しても、新しいものが出てくる。効率性を無視してもクリエイティブなものが出てくる。そういった発想方法が必要です。
それには色々な人が意見を言う場、ブレインストーミンの場もよく用いられます。
日本人はブレインストーミンが苦手です。苦手なのには理由があります。日本の教育は、唯一買いに向かっていく、不正解を認めない。不正解への過程は不要なものである。だから人に伝える必要もない。こんな展開で半端な答えはいらないとされました。
しかし、これからは違います。ブレインストーミンを行う時は、その場のルールを上手に作ってチーム貢献になるように考える過程を共有してみましょう。
【編集後記】
年末のレストランの予約を探していると、もうすでに埋まっているところが多いですね。私も予約取れたので、行くのが楽しみです。
【昨日のはじめて】
スーパームーン
【子どもと昨日】
子どもに、「ちょうだい」をすると、「どうぞ」と返してくれます。いつもではありません。でも、外界(親)とのつながりも持ってくれる瞬間を見れます。三つ子の魂百まで。肝に命じて、一緒の時間を楽しみたいです。