キャリアはまっすぐ増大していくだけではなく、戻ったりもします。
これはキャリアの進行がらせん状になっているようなイメージです。
キャリアはらせん状
これまでのキャリアは、直線上のイメージで進んでいることが多かったでしょう。
一社に勤めたり、同じ仕事を続けて能力を上げたり。
このやり方はもちろん間違いではないのですが、唯一無二の方法でもないです。
少しずつ重なって前に進んだり、戻ったり、ときには止まったりと言うことが今は許されています。
というか、そういう形になんないとやってられないなと言うのは現実じゃないでしょうか。
昔に、年配の方から仕事選びのアドバイスをもらったとき、「仕事なんて何やっても同じ」と言われたことがあります。
既に全てが完了しているような状態から見れば、そのように何やっても同じだと言うふうに感じるのかもしれません。
しかし、もう1個解釈をすれば、直線的に進んだキャリアであれば、いつかどん詰まりに突き当たって止まってしまう、何をやっていいか分からなくなってしまうということがあり得るんじゃないかと考えます。
こういった考え方からも、やはりキャリアはらせん状に考えていくと言うのは1つのやり方です。
らせんに乗るなら、後戻りの勇気
らせん状は聞こえはいいんですが、後戻りすると言う事象が発生します。
完全な後戻りは無いにしろ、少し重なって、横にずれる斜めに進む前に進まないと言う事は起きます。
そうすると、隣でまっすぐ走っている人に比べて、自分は前に進んでないように感じる音が出てきます。
直線的なキャリアが流行ったり、中心的に考えられたりしたのは、感覚に合うからでしょう。
生物学的な認知として、近いと遠いという判断は、 時間概念を持っている社会であれば通常なのです。
おおよその社会でこのような縁金の考え方というのは浸透しています。
アマゾンの奥地にあって、光もささずうっそうとしたジャングルで時間概念がないよーの種族においては、この近い遠いも当たり前ではないことがありますが。
拡大の資本主義が受け入れられやすいのも、多くの人の成長感覚にマッチするからです。
だから、通常の認知と異なるやり方を頭に入れるとしっくりこないと言う現象が起きます。
らせんのキャリアは聞こえはいいが、使い勝手が当初良くないのはこの考えの原因でしょう。
例えば、老年期に入ったときに何を目標にするのでしょう。
介護の際の問題にもなりますが、保育よりも介護の方が発展性が少なく見えてしまうという悩みがあります。
ここは大きな課題であって、人生の喜びを見直し価値定義を再度行うべきです。
同様の難しさがキャリアにおいても存在します。
成長しない(ように見える)状態だと行き詰まりがちです。
らせんのキャリアの考え方は、確実に今の社会で役立つはずです。
だからこそ、この行き詰まりを打開するように動くべきでしょう
減衰や捨てないと感じるもの
キャリアの螺旋を考えるときには、捨てる・やめりことを大胆に行いましょう。
これまであって、学校で学んだけれども、使わなかった事というのがあるはずです。
それはもったいないと言うことではなくて、自分との相性を見極める、取捨選択の過程として理解されます。
キャリアの螺旋においても同じです。螺旋状に進むのであるから、今まで続けていたことの1部はやめ1分は深掘りし、1部は広げていくような動きをしていきます。
たくさんやってきたものを捨てることを恐れずに、進みましょう。
減らすこともあるでしょう。
浅くなることもあるでしょう。
しかし、後戻りのような感覚につきあって進むこともキャリアを考える上で大切なことです。
やめる勇気を上手に持ちましょう。
【編集後記】
自分自身のやり方を積極的にするように、やり方を見直しています。
【運動記録】
ストレッチ○
【子育て日記(6歳・2歳)】
図形の問題集を上の子と。
といっても、ロッカーにしまってある位置を言う座標を学ぶような問題でした。
先が見えているとつながりが分かりますが、意味なくやらされるとなんのことやら分からないなと改めて感じました。