仕事を辞めたときの社会的な評価は当然に下がってしまいます。社会的な評価は株価のようなもので、その後に十分上がることがあります。しかし、結婚すると決まると「結婚時=株価評価時点」となってしまいます。当人同士はよくても親族の目がとても厳しいのは、どの家庭でも一緒でしょう。
国際基督教大学(「International Christian University」以下、ICU)卒業の人はやりたいことがはっきりしている人もいるため以前から大手企業に勤務しても辞める人がいる話はよく聞きます。昨今話題となっている小室圭さんの話もICUに近しい人からいえば、迷いのようにも感じず至極当然な動きです。
女性のみならず男性についても単線型のキャリアだけでなくなってきています。結婚だけではなく色々な評価を受ける時点が存在します。転職においても結婚においても、評価が下がった自分への一貫した動機をしっかりと説明できるようにしておきましょう。
大手でも退職するのはICUの基準では当たり前
銀行を辞めているICU卒業生は枚挙に困りません。元々やりたいことがはっきりしている人が多い大学です。続けて能力の高さを活かしている人もいますが、辞めている人もよく耳にします。
海外の留学生と交流をすると、日本のように「小学校→中学校→高校→大学」のような流れになっていない人の経験を聞くことができます。一人例を挙げれば、ベルギー人で大学はアメリカに行き、その後の交換留学でICUに来て、卒業後にはすぐに働かずにドバイ辺りで簡単な仕事をして、その後アフリカに行っている等。
リベラルアーツの良さとして見れば、ゼロベースで考える素養を付けているとも言えます。
小室さんは寮生であったようですし、留学生と寝食をともにしていて話も十分聞けたでしょう。
日本の大多数の規範から見ると逸脱しているので、理解されにくいですしはみ出し者として扱われることもままあります。
平成26年(2014年)3月卒業の3年離職率
厚生労働省の平成26年3月卒業の「金融・保険」の離職率を見ると
- 1年目・・・5.8%
- 2年目・・・13.4%
- 3年目・・・21.7%
どの大学というよりも、新卒学生の3年離職率自体高い状態です。
転職時、一貫した動機を持とう
他の人から見た現在の価値が下がっているとしても、銀行の採用を通っているのだからそれだけで能力の証明になるでしょう。
しかし、転職時によく見られるのは、動機とその整合性です。
明確なビジョンを持っていない人は、心変わりをしてまた退職するというように(日本の多くの)企業は見ます。新卒は、経験がない分ご祝儀で判定してくれるきらいもあります。転職時やその後は通用しないので、転職理由への質問に耐えうる動機と理由を兼ね備えるべきです。
人生の、他人からの評価が下がったときは一本の芯を持って対抗しましょう。
「親世代は理解してくれない」ことを理解する
さて、離職による評価減について、結婚時では企業に説明する以上に自らのビジョンと相手をどのように大切にしていけるかを説く必要があります。
誰かの批判は月日が経てばなんてことがないことに気づきますが、親が反対していると当人同士の中も難しくなってしまう場合があり注意が必要です。
「親世代とは価値観が違う、だからいいでしょう(許されるでしょう)」ではだめです。
相手の親はあなたの親ではありませんし、価値観の違いを理解した上で理解してもらうように努める努力がいります。
次の機会へのジャンプで評価減になることがある
一つの仕事をずっと続けなければならない時代ではありません。評価が下がってしまう時期も必ず出てきます。臆する必要はありません。ただ、単線型のキャリアで十分だった世代の人には理解してもらいずらい点です。
キャリアでは、自分の年収や評価を落とした上で次へ進むこともままあります。ジャンプとも表現されます。
次の仕事に進み飛び上がる前に、いったん膝を曲げることを指しています。まさにこの状態。飛び上がるんだという意気込みはしっかり示さないと、しゃがみこんだと勘違いされます。
キャリア途中では、身近な人への説明をしっかりした上で、外野の意見は適当に聞き流して自分の求めるところに近づいていきましょう。
【編集後記】
小室圭さんと眞子さんの話の要因はたくさんあり、外野が口を挟むことではないトピックではないかもしれません。ただ、結婚とのタイミングに伴って、仕事を選ぶときにはいろいろな人にたくさんのことを言われます。週刊誌に狙われて変な影響を与えられてしまうこともありますが、延期したプランに沿って結婚がうまくいくといいですね。その頃にはキャリア変革も終わってるのではないでしょうか。
【昨日のはじめて】
糖質オフ担々麺
ホワイトネピア
尾道生ラーメン
猫豆
【子どもと昨日】
人の区別ができるようになってきました。
初めて会う人の顔はじっと眺めます。しばらくして慣れてくると、自分からその人に近づいてふれあいを楽しみます。誰彼構わずではないのは、連れ去りのようなものもありますし、当然の人の行動様式なんだと理解してます。一つ一つ成長です。