文脈のまったく存在しない状態での「私」はどありえない。
という前提に立てば、自分探しや棚卸しをしていくのは、文脈をつくることと表裏一体です。
文脈は、前提条件ともいいかえられます。
自分の前提をどこに置くのか決めていくことになります。
社会的な役割と文脈依存性
自己を考える前に、社会的な役割を考えます。
社会的な役割は文脈に大きく依存をしています。
「60代の男性」と表現された際には、その個人の前に「こういうもの」という前提が出てきます。
いろいろなものからの自由が取りだたされていますが、それは文脈をゼロにしようという運動かどうかが議論となります。
男女についても同様です。
男性・女性の社会的な役割に対する反論としてジェンダーレスの概念があるとして、それはジェンダーレスという区分けをまた新しくつくるものとなります。
枠組みを破壊するからといっても、破壊した後の概念はまた新しい枠組みの中に入らなければなりません。
ここから、文脈へ依存されるような枠組みから逃れることはできなといえます。
個人的な役割と文脈依存性
社会的な枠組みは文脈に依存し、そこから逃れられないものです。
では個人はどうでしょう。
個人的な役割は、ここでは自分が自分に課する役割として話していきます。
こうすることによって、社会的な役割のように2者以上が存在して他社を判断するのとはことなり、自分が自分を自由に判断できる前提ができます。
ここの前提は、社会的な役割に影響されて構築される場合もあれば、そこから更に踏み込んで自由に構築するという考え方もあるでしょう。
どちらがいいのか、悪いのかはないです。
ただ、社会的な役割よりは自由に自分でその前提を決められるとはいえます。
自分探し・棚卸しと前提
社会的な役割と個人的な役割は、異なる方法で決定づけられます。
社会的な役割のように自分の枠組みにある程度とらわれるものとは異なり、個人的な役割においては、自己の前提を決定しておく必要が強くなります。
新しいことをしたい場合、つくりたい場合など、自分の前提を改めて別の形に定義してから進めると、発想を変えられるのでは、とここから感じます。
少し細かな点ですが、2者を分けてみました。
【編集後記】
孤独のグルメの年末視聴率が健闘したらしいですね。
たまに見ますが、夜なので、お腹が減ります。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○
【子育て日記(4歳・1歳)】
上の子と下の子と自転車で公園へ。
お兄ちゃんを追いかけて、移動するだけでも、楽しかったみたいです。