ワークショップにおいての自己原因性。言うは易しですが、組み込む難しさはいつもつきまといます。
自己原因性なのですから、自己から自発的に出てくるものでなければその語彙から矛盾が生じます。
ファシリテーターが「狙って」原因性を作るのでしょうが、作られすぎると自分のものではなくなりますし。
そもそも少しでも作られたものは定義的には自ら湧き出た欲求からは外れるでしょう。
デザインと自己原因性を改めて考えます。
自己原因性とは
ワークショップには自己原因性の感覚を組み込むことが大切です。以前、そういったエントリも書いています。
その中での自己原因性とは、下記のように開設しました。
「自分がある活動の動きの原因になっていうこと」です。
==中略==
自分ごととして活動を考えたり、自分ごととして話や中身を考えたりすることができます。
会社研修などのオーダー仕事で自己原因性をどこまでデザインできるか
会社研修などのワークショップも存在します。
その時に、どれだけ自己原因性を持ってもらえるのでしょうか。
やりたいと思ってきている方の割合も多くはない。自由な自己原因性を持たれては、経営者が従業員に学んでもらいたいと考える点と大きくずれる。
教育サービスを行う側として、依頼者のニーズに教育結果が異なることが発生します。
自己原因性をデザインする時、
「あなたはなぜ、この場にいるのですか?」
「今日持ち帰りたいことはなんですか?」
という問いをして、自己原因性を「探ってもらう」ような手法を取っている教育チームもあります。
上手な手ですが、自己原因性の原義とはずれている感じを受けます。
生来は、自己原因性は放っておいてもやりたくてやりたくてしょうがないことに持つことが用意でしょうから。
会の目的が曖昧であれば湧き出る機会を与えるで足りる
参加することを促すような、町会であったりまちづくりであったりであれば、自己原因性を満たしやすい点も出てきます。
最低ラインは参加をしてもらうことから始まるのですし、会の目的を緩めに持たすことができるのであれば、着地点に大ブレがあっても「考える機会の提供」をすることで十分な効果的な時間を提供できます。
自己を見つめ直す機会と与えられる場のバランス
狭義の自己原因性なのか広義の自己原因性なのか、狙える幅に違いはあれど自己を見つめる機会を作ることが学びの中では最低必要な点と理解できます。
楽しさをどう感じてもらうか、学ぶ理由を自分に結びつけてどうやって感じてもらうか。
学べることも情報もいくらでもある世の中。
新しいことを取り入れるよりも内省の度合いを高めながら学ぶことが、その人の満足度や教育どをあげる方法なのかもしれません。
【編集後記】
暑さで、工場施設ではスポットクーラーが売れまくってますね。
熱中症などのニュースを毎日聞く中で、経営層から熱中症対策への予算がおりてきやすい傾向にあるようです。
でも、中古品でも品切れが多く、今から発注しても暑さが遠のいた季節になりそうな。
【昨日のはじめて】
パニーニ
【子どもと昨日】
絵本を読むのですが、前ほどじっとは聞いてくれなくなりました。その代わり自分で触ったり開いたり持ってきてみたり。してもらうより、してみることに興味があるようです。
年齢とは言わず、月齢と言う。それほど目まぐるしく成長が進むのを実感します。