国をまたいだチームのやりとりは今さら不思議なものではないです。言語的な問題も中間言語として英語を使うことで、それほどの違和感なく情報の共有や雰囲気の理解ができるます。
その中で先日「複雑すぎる」というクレームがありました。
複雑な表現が嫌われた
3カ国のべ、12人での会議です。
技術的に専門的な話に立ち入っていた時にクレームが出ました。
「その発言は複雑すぎだ」と。
日本で会議をしているときに、複雑すぎるというようなクレームはあまり聞かなかったので新鮮な感じでした。
日本人の会議では、前提条件をかなり共有しているという状態から始まります。理解水準が高いところから始まっているものですから、会議の中で求められる次の理解も高くなってくるのです。
機微を理解することよりも全体感
「高い次の理解」とは、精神的なところや背景を理解することにあります。
しかし、前述のチームで精神的な共有をする気にはなりません。事象の理解をするだけでも手一杯なのですから、精神の共通理解など夢のまた夢。
だからこそ機微を理解するよりも全体感をどうやって伝えるか、深いところに立ち入らない力が逆に求められました。
共有することよりも、もっともっと共有をしないことを浮き彫りにしながらの会議です。
深さのコントロールよりも浅さのコントロール
言い換えれば、深いところをコントロールするのではなく、どうやって浅いところで物事をこなせるかをコントロールすることが中心課題です。
このような趣旨が違う会議に参加するのも刺激になります。
同じ日本人でもバックグラウンドの違いによって違う言語で話しているような場合があります。
そういったときは、多くを共有しようとするのではなく、必要なことをできる限り少なく共有してみる。そういった運営もスムーズに会議を進めるヒントになりました。
【編集後記】
浅い理解を目標にしても、それぞれはもちろん深い理解をしようとしてくれています。会議が終わっておおよそまとまった時の達成感が心地いいです。
【昨日のはじめて】
黒糖ベーグル
【子どもと昨日】
保育園で食べていないものを食べさせるようにというお達しを受けました。「メロン」などというものをおやつで出してくれるようで、事前の確認のために家で食べさせておいてくださいという指示です。
そういえばあげていないものです。こちらにとっても高級品。どこであげようかと考えながら、寝かしつけた後にスーパーに買いに行きました。