ソフトウェアのプログラムの修正は、結構骨が折れるしごとです。
担当者で行えるプログラムらしきしごとでは、
VBAを使ったりRPAを使ったりがあります。
この場合、前提を把握しなおす必要があります。
どんな処理工程を用意していてどんな処理をしたか、
他の人が使うプログラムを作った場合には特に見直しが必要です。
そして、プログラムは都度都度修正が必要です。
ソフトウェア・アップデートでバージョンが変わったり、
RPAなどではウェブサイトの仕様が変わったり。
変更する際に、担当者のモチベーションがそこそこ必要です。
ただ、このモチベーションを下げる依頼者によく出会います。
どんな様子がまとめてみます。
修正は簡単だと考える
「修正するのは、簡単ですよね」と迫ってくる場合です。
社内のプログラムを作っている方は、
兼任されている方が多く、修正が仮に簡単だとしても
それに手を付ける時間があまりない場合があります。
時間をうまく作れればできるかもしれませんが、
担当者が楽になるように合間に作ったプログラムにおいて、
さらに時間を「優先的に」割くようにするのは難しいです。
また、実現したい気持ちはわかりますが、
本人にも定義できない内容をなんとなくで伝えて
修正しようとする場合、別の意味で困ります。
「それはできません」と言うことが許されない場面だと、
結局評価もされません。
感謝がない
プログラムを修正してもらって当たり前と考える傾向を感じます。
「プログラムは、材料を使わず、パソコンと本人の労働時間があると
作れるでしょ。余分なものは何も必要じゃないのだから、
簡単なものでしょ?」と考える感じです。
別に感謝されるために相手に何かをしたいわけではないです。
でも、さすがにサービス提供するは、
理解できない人扱いされて諭されるはでは、
やる気が削がれます。
「作って当然」という態度を取る方は、意外といます。
評価しない
感謝しないことに近いですが、「評価しない」ことも挙げられます。
中小企業などでプログラムを修正する立場の場合、
善意や努力で取り組んでいる方をよく見かけます。
別にそのしごとをしなくても、
職責上は問題がないのです。
しかしながら、その余分なしごとに取り組んでも
取り組んだ人を評価しない。
したことが評価されないのでは、
してあげようと考えにくくなります。
失敗の原因を押し付ける
プログラムは、人のしごとに組み込まれて使われます。
そして、そのしごとを失敗したのは、
「プログラムがXXだったから」と。
これがまたモチベーションを下げます。
もしかしたら、失敗の原因を押し付けた方は
プログラムが勝手に生成されて
誰のせいにもしていないと考えるのかもしれません。
でも、プログラムを作った方はいますよね。
暗にプログラムを作った人のせいにしていると感じれば
当然、いいプログラムを提供して助けたいとする気持ちが削がれます。
「プログラムがXXだから時間がかかった」なども類似の話です。
そういう人に限って、自分が問題とされるまで細かな点を公表せず、
自己弁護のためにネタをとっておいているのかなと感じるほど、
鮮やかに防御ネタに使います。
使う人が楽をして、作る側が残業する
使っている人がさっさと帰宅しているのに、
作る側が残業している場合もやる気をなくさせます。
なんのためにやっているのでしょうか。
楽な人をさらに楽にするためにしごとをして、
それで何になるのでしょうか。
だったら、自分のためにプログラムを作った方が、
全体の効率が何倍にも良くなるはずです。
メンテナンスを押し付けられる
一度善意で作ると、その後のメンテンスも
押し付けられることがおうおうにしてあります。
作った人がよくプログラムをわかっているので、
しょうがない側面もあります。
でも、しごとの手離れがすごく悪いです。
そして態度もわるいことも。
メンテンスを押し付けられることがわかっているので、
「やりましょうか」という一言を言わせにくくしています。
無償でプログラムを社内提供することは間違いなのだろう
総括として、社内ソースだからといって、
みなし取引計算もせずに無償でプログラムを提供するのは
間違っているのではないかなと。
可能であれば、社内売上などの内部計測ができると
少しは問題がよくなる気がします。
役務の提供は意外と手間です。
プログラムの修正をしていあげるのは、なかなか大変なしごと。
それでも社内のしごとを効率化してあげたい方は、
モチベーションを下げる存在を認識して避けるようにします。
上手に避けて、いいしごとにつなげていきましょう。
【編集後記】
とある受入業務がありました。
時間はかかりましたが、満足してもらえたかなと。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【子育て日記(4歳・0歳)】
ちょっと前に買って難しかったブロックを
作れるようになっていました。
できなかったことができるようになると、
成長を感じます。