イグノーベル賞において、「才能VS運: 成功と失敗におけるランダムの役割」という内容が一時期話題になりました。意訳も多く、「才能よりも運が大切」としているものも見られます。また、科学的に調べたとしても、白鳥と黒い白鳥の関係性のように、帰納法には限界があります。
「仮に才能よりも運が大切だったとして、それがあなたの行動を変えるのか」。私はその方が思慮すべきと考えます。
統計値はウソをつく
論文の趣旨としては、「才能は成功に寄与している、しかし、運が多く寄与している場合もある」という理解です。
これは、才能がある人が富を持つべきという一般的な思い込みに対して、実は才能がなく運だけの人もいて、多大に一部に富を分配することに警鐘を鳴らしています。
しかし、書籍において「才能よりも運」としているものがあり、趣旨が変わっているか、別の研究を元にしていると考えられる内容があります。
まずは、統計値がウソをつきやすいということは理解しておきたいです。統計値が本当のことを言っていたとしても、それがさらっとウソに変わって意訳されることもあります。悪意があるかどうかではなく、単純に気を引きたい現れがそういったウソになる場合が、ネットメディアが出てから多いです。
知ったからといって行動が変わるのか
統計的な内容だったとして、仮に才能よりも運が大切だったとして、あなたはそれをどう受け止めますか?
- 研究と自分とは別の話として、やりたいことに努力を続ける
- 努力は続けるが、運の要素があるので、どこかで諦める
- 「才能よりも運が大切」ならがんばってもしょうがないと諦める
別にどれを選んでもらってもかまわないです。ここでいいたいのは、運が大切だったという仮の正解を理解したときに、無視して続けるか、従って諦めるか、しか結局選べないのです。失敗したとき、成功したときを正当化する理由程度にはなっても、なにかを回避することにはつなげにくい内容です。
そもそも、この研究は、成功者への富の分配を考える趣旨のため、理解の方向性を誤ると役に立ちません。
あふれる情報の取捨選択
情報はいくらでもあふれ、いくらでも時間を消費させます。私が今回大切だと考えるのは、その情報があなたの行動を変えるくらい意味があるものかということです。
行動を変えない情報を仕入れることは、時間消費の満足は得られども、それ以外の満足は得にくいはずです。そもそもどんな満足得たいのでしょう。できたら、自分の行動を変えるような情報に積極的に接する時間を持ち、取り込んでいきましょう。
【編集後記】
YouTubeの撮影を一緒に。別の人とコラボできるのって楽しいですね。
【運動記録】
ストレッチ○
【子育て日記(6歳・2歳)】
帰ってきたら二人とも遊びたかったらしく、ガンガン寄ってきました。最近は、馬乗りになるのが楽しいようで、二人そろって私に乗ってきています。まだまだ余裕です!