昔の自分の専攻研究の1つに、「倫理」が入っていました。アカデミックの分類では「哲学」の分野 から少し枝分かれした内容であり、西洋哲学からアプローチするのか、東洋倫理からアプローチするのか といった試みのひとつです。
一時期、生命倫理がとても流行りました。 クローン技術で複製体が作れるようになることを皮切りに、子どもに成長できる胚細胞をどう扱うかまで。
研究からだいぶ時間が経ったにもかかわらず、それ以降の 進捗をあまり聞きません。
「賢い」と「倫理」
一時期は、賢いから倫理観が高まるという考え方がありました。 偉い人だから、崇高な倫理観を持っているだろうといった推測です。
形骸化しているかもしれませんが、PhDなどは、倫理観の欠片が出てくる学びにつながると、学部生の研究当時錯覚をしていることがありました。 実際に調べてみると、学術的な領域の限界値を知るための哲学(Ph.) ということが理解できます。
多くの場合、知識や知恵が増えることで倫理的な問題に対する洞察や理解が深まるとはいえます。しかし、 世の中の事実を見れば、単に賢いとされる人々が必ずしも高い倫理観を持っているとは限らず、時にはその知識や技能を不適切な方法で利用することもあります。
賢さは倫理観を高める要素の一つとはなり得ますが、 因果関係ではなく、あくまで相関性にとどまるものです。
「資本主義」と「倫理」
倫理が流行らなくなった理由として、武士は食わねど高楊枝などとは言ってられなくなることが顕著だったからでしょう。つまり、「経済的利益の追求が倫理的考慮を上回る場合がある」という理由です。資本主義は本質的に利益の最大化を目指す経済システムです。思想や規範である倫理的価値よりも、経済的価値が優先される傾向があります。
経済的利益の優先
資本主義の下では、企業も個人も、競争に勝って利益を最大限に増やすことを求められます。優先項目が変われば、倫理的な配慮が犠牲になることがあります。例えば、環境を守ることよりもコスト削減を選ぶ企業や、労働者の権利を無視して労働コストを削減するような場合です。
また、 一見、環境や労働者を優先しているようであっても、現実は別の経済的利益を求めていると言う事例も見つかります。 「資本主義がベストではないけれども、ベターだ。」と、言われるように 思想的なものを飛び越える 根強い強さを持っています。
短期的な視点
資本主義は、短期的な利益追求を促進します。株主への四半期ごとのリターンを最大化することが求められるなんてのはいい例です。企業が社会的または環境的な責任を二の次にすることがあります。 もちろん、ソフトローとして四半期報告に思想的なものが書いてあったとしても、それがどこまで重用されるかは不明です。ハードローとソフトローのどちらを優先するかの議論もあります。
経済的不平等
資本主義においては、思想や倫理観が豊かでも経済的に貧しい状態にある人々が存在します。思想は、 市場経済の富を効率的かつ公平に富を分配するわけではないという事実を示しています。もちろん是正されるべき点も多いはずです。私が気づいていないせいかもしれませんが、そういった動きは多くは見かけません。
文化的な価値観の変化
経済的な成功を最も重要な価値と見なす文化的傾向は、個人の倫理観や共感を疎外することがあります。これは、社会全体で「成功」をどのように定義するかに大きく依存しています。
倫理は元々集団でどのように振る舞うかの規範でした。しかし、法律に詳しくなるほどに個人主義であることを自覚させられます。この点は、資本主義の下で倫理が「流行らなくなる」一因でしょう。
むすびに代えて
このように書いたとしても、逆に倫理観だけを前面に出されると毛嫌いする人もいるでしょう。要は、これらのバランスが大切ということでしょう。昔から、理念や倫理はないがしろにされているのでしょうし、その認識に自分が追いついただけかもしれません。
他に大きく波風立てるつもりはありませんが、小さくとも理念を大切に、それを広めていけるように自分では優先度合いを決めて動いていきたいと感じました。
【編集後記】
相続関係の少し込み入った相談対応。相談者の方と比べて相対的に若いことを褒められました。
【運動記録】
ストレッチ○
【子育て日記(息子7歳0ヶ月、息子3歳6ヶ月)】
最近子どもとフォニックスにハマっています。 このやり方で意外と読めるので。 しかし、言語には例外が多いものです。 Bass [弦楽器 / 魚のバス]のように同じ綴りでも、違う意味になることがなんてざらにありますね。ぼちぼち進めていきます。