ビジネスをしているとどうしても数量への算段が大きくなります。
売る数と仕入れる数とを計算してこれらが継続的に成り立つかを考えるようなことがビジネスでは多い感じです。
ある程度多いことは必要ですし、売上を中心に数量がそろうことは成立要件です。
では、法学はどうかと言えば、そういった数量がビジネスで認めるような価値を一切無視したように価値判断をすることを目にします。
営業をしていた方であったり経理をしていた方であったり、ビジネス分野の方は数量の評価への意識を変えると法学を飲み込みやすくなります。
数量が肯定する価値にとらわれすぎない
法学では数量が肯定する価値にとらわれすぎないことが理解につながります。
ビジネスにおけるほど数量が肯定する価値が成立しないからです。
裁判では多数の裁判官が判断した結果が裁判所の判断となりますが、少数意見だからといって無視されるわけでもありません。
裁判例が多いこと。
論争になりやすいことだという判断にはなりますが、あることについてYesとする裁判が多いからといって、結論がYesになるわけではない。
判断は個別にされるし、根拠となる法的な概念は多数決で決められたものでもないです。
論文を書く際にも、数への見方を変えてみる
社会人大学院生など、ビジネスの素養が高いと数量への価値判断をする傾向にあります。
多い方が影響が強い、概念として成立するような前提で見てしまう場合も出てきます。
しかし、数量の大小に限らず、法学を理解するには重要な考え方に重きを置けるかが大切です。
(その分、裁判所などの数量判断に納得できない場合もあることでしょう。)
法学の考え方が理解しにくいときには、こういった数量への評価を変えてみると納得できる場合があります。
法学系の人の話がイマイチしっくりこない場合には、ちょっとだけ数量への見方を変えてみるといいかもしれません。
【編集後記】
漫画の置いていない本屋(TUTA○A)で呪文みたいな(スタ○の)飲み物を頼んでいるおしゃP(ピープル)を「魔物」と呼んでいるの、ウケました。
【運動記録】
ジョギング○ ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【一日一新】
かくしごと
【子育て日記】
子どもながらに照れてはっきり言ってくれないことがあったりします。
照れのような概念はどこから学んで来るんでしょうね。
どこかで教えるわけでもないのですが。
不思議ですけど、面白いところです。