ワークショップとアクティブラーニングは似ているところもあれば違うところもあります。
両者をいっしょくたにして無用と烙印を押すのはちょっと乱暴な意見です。ただ、言いたいことは分かります。
ことワークショップに参加した際にも、上手な場を作れなければできる人が譲歩して終わり。特に学びにもならずにストレスがたまるものです。
同等のレベル感にそろえるのも最上のファシリテータがいてのもの。いうがやすしではありますが、ワークショップで間違った結論に至った場合にファシリテータが考え直す5つの点を考えます。
1.そもそもそれはワークショップと呼べる代物なのか
もちろん違います。
ワークショップが有効でないと批判されたとき、その会で行われていたのが本当にワークショップかを吟味する必要があります。
ちなみに、こんな記事も書いてます↓。
偽ワークショップを提供してしまっていないのか、提供しているレベル感がその場に合っているか、よく考えるべき点です。
2.一人ではできないことにワークショップを使っているか
ググってもいいし、辞書を開いてもいいです。
しかし他の人との意見の交わりを通した相手の理解をするのであれば、ググるだけでは足りません。辞書にも載っていません。
この手の失敗に陥るのは、ファシリテータが場を完全にコントロールするために答えがおおよそ分かりきった内容を設定している場合があります。
思い切ってもう二段階ほど上と思われる問いを設定してもいいでしょう。
3.ワークショップは全てに効くのではない、方法の一つだ
あまりにもその万能性に寄っていく必要はありません。
4.ワークショップ参加者のレベルによる結論の稚拙さを補うプログラムを作ったのか
前提知識が足りずに盛り上がらないワークショップがあります。
この場合、前提知識を持って来させるのも一つですが、いつもいつも可能とは限りません。
市民ワークショップを例にすれば、色々な人が参加します。
会への参加の目的が、何か崇高な答えを出すことではありません。単に参加することが目的かもしれません。
その場合に、前提知識を共有する初期の段階を設けているのか考えましょう。
一つ持って帰ってもらったらいいのであれば、そのような目的を最初から設定しておきます。
ファシリテータの目標値もしっかり定めて着地点と会の評価を決めておきましょう。
5.絶対的観測者の目線が本当に正しいのか
強制的・絶対的な目線があるのであれば、わざわざワークショップを立ち上げる必要はないでしょう。
すでに答えが決まっていることを吟味している可能性もありますし、絶対的観測者がいるのであればその会の雰囲気も硬直的な場合があります。
間違っていると批判するその目線が間違っていると。
まとめとして
ワークショップの企画、運営、評価をしていると、場の全てをコントロールを任せてもらえないことがあります。企画と運営と評価が分かれていることもあります。
その場合に、企画や運営への評価側からの批判を受けます。
ワークショップの手法のみにこだわる必要はありませんが、違和感があれば、今選んでいるその手法が適切なのか考え直してみましょう。
【編集後記】
引き続き、販売管理と原価管理のソフトの統合でにらめっこです。構想はできているんですが、データを引っ張るところの作り込みを続けます。裏側が分かっていると、UIはどうでもいいと言いたくなることがありますが、使いやすい方がいいですし、もうちょっとやり通します。
【昨日のはじめて】
新規の銀行担当者
【子どもと昨日】
公園でぶらぶらハトを一緒に追いかけました。ハトの方が足が早いですし、飛ぶこともできるので全く追いつきません。
ハトの方が気にかけれたのか、ちょっと歩みをゆっくりにしてもらったところで息子が恐る恐る近く。そんな繰り返し。のんびりな日でした。