しごと上で、課題を作成してその後修正されるというスタイルで取り組んでいるものがあります。
学ぶ、次に活かすといった観点で振り返ると、課題はすんなりクリアするよりも、困って立ち止まったものが多いほど、実力がついている感じがします。
うまくいかなかった経験というのが、その後に役に立つといったいい例です。
なぜ身になったと感じるかまとめてみます。
時間をかけて印象に残る
課題においてすんなりうまくいかないものが、後々に身になったと感じる理由のひとつは、時間をかけて印象に残るからだと考えます。
なんの難しさもなくそのまま乗り切ってしまえるようなものであれば、健康な人が息を吸うくらいの感覚です。
難しさを感じないので、印象に残りません。
一方で、時間をかければそれだけ寄り添う時間が長くなります。
日をまたげば、いったん寝かした上で見直すこともできます。
そのように長く寄り添った課題というのは、やりきった、身になったと振り返って感じます。
数が多くなくても、そのように時間をかけたと感じられるものをいくつか持っていると、応用がきいたり自信を持って取り組めたりする源として、とても有用です。
自分から自然に出たものを叩き直す
時間がかかった課題が身になったと感じる次の理由は、自分から自然に出たスタイルについて言及してもらえるからでしょう。
さっさとこなすことを前提に、自分のスタイルで課題を完成させるとします。
自分のスタイルとはいわば自然体。
何も考えなくてもいつもその型を使っているものです。
見についている型について言及をもらい、叩き直すというのは、自分の中のプログラミングされた箇所を書き換えるのと一緒です。
単純にプログラミングを走らせて使っただけでは、プログラミングはブラッシュアップされませんよね。
一部のコードを書き直して、順番を見直して、改良するからこそプログラミングがよくなります。
自分から自然に出たものというのは、いわば自分の中にプログラミングされたものです。
それを細かく良し悪しを見て修正するのは、自分の頭の中のプログラムを書き直したり改良するのと似ています。
すぐにうまくいかないことが活きる
ものごとに取り組んでうまくいかないときは、落ち込むことも出てくるでしょう。
でも、このように間違うことで身についたり次を改良できたりといった側面も同時にあります。
みっちり考える、向き合うというのはやろうと考えてもできないことがあります。
であれば、自分で設定した課題がうまくいかなくても気にせず、たくさん向き合っていきましょう。
課題に向き合うことが早く完了させる以上に、身につけるよい方法になります。