税理士をしていて、メニューによくあるのは顧問契約です。顧問契約は、会計記録の サポートをするところから、定期的に面談して、税務的なあるいは経営的な方針を決めていく ことが多いです。
人に会ったは、高いということもあります。 ミニマムなサービスでいいんだとおっしゃる方もいらっしゃいます。 これはおそらく、その方の『「ふつう」でいいんだ』という意図が見え隠れします。しかし、「ふつう」は意外と難しいです。
ふつうの相談
ふつうの相談と言うのは、その辺でよくありふれたものと理解されることが多いです。 親族、学校の先生、仕事の関係者に、「ちょっと相談がある。」というのは、よくよく見かけるものです。先日、カフェに行けば、女子高生が「相談がある」といっている姿を見かけました。
さまざまな現場でかわされている日常的な相談の風景…(略)…そこに共通して響いている重奏低音のようなもの…(略)…を本書では「ふつうの相談」と呼びたい。それは心理療法の教科書や専門書には書かれていないけれども、誰もが本当は実践している相談のことだ。
東畑開人「ふつうの相談」(金剛出版、2023年)22頁。
東畑氏も定義しているように、 ふつうの相談は、その辺にありふれているもののはずです。ふつうは千差万別。よって、専門家から見ると、そのふつうさには、どことなしに、一般的な「ふつう」とは異なるもののはずです。
専門性をよけた「ふつう」の規定
東畑氏の考えでは、 「ふつう」とは、以下の2つという考えです。
- 純粋理論的な専門療法に対して、それを極限まで薄めて現場に当てはめたときサポーティブなもの。「素人性」
- 専門領域という周縁域以外のすべて
その上で、上記で紹介した本の中では、②の方法をとって、「ふつう」の広さと広範囲さ、専門領域以上の広さという視点を与える試みをしています。
この試みが成功しているかどうか、一般的にわかりやすいかどうかは置いておいて、ここで言う「ふつう」を 理解するためには、専門領域をある程度知っておく必要があります。 専門領域を知ってるからこそ、「ふつう」として そこを避けて通れると表現できましょう。
私もたまにいいますし、税理士界隈でよく言うのですが、難しいことを噛み砕いて伝えることにつながります。 難しさはどこにあるかを知っているからこそ、そこを避けて、易しく伝えられるのです。
学校の集まりで私に会計をお願いしてきた人がいて、その時に「 難しい事は要らないから」といういうニュアンスの物言いをしてきていました。 その方にとっては、「その方自身のレベルに合っていればいい」という意味だったのかもしれません。
正しくこれが『「ふつう」でいいから』という難しさです。 人間の力を分解してお貸しすることができないので、比較的無理な話です。お願いする相手を変えた方が良さそうです。
話を戻しますが、「ふつう」とは、どこにでもありふれているものです。東畑氏は、「ふつうの相談0(ゼロ)」と規定しています。一方、専門家にとっての「ふつう」は、専門性を避ける作業を行った上で規定できるのです。
構成要件
誰もが日常的に利用できる「ふつうの」支援ではありますが、「ふつう」は多様であるため、一律の議論するのは難しいかもしれません。しかし、以下の2つは入っているものです。
- 熟知性(相手をよく知っていること)
- カウンセリングにおいてクライアントを深く理解すること
- カウンセラーがクライアントの背景、経験、感情をよく理解し、それに基づいて適切な支援を提供すること
- クライアントとの信頼関係を築く基礎となるもの
- 世間知(人間と社会についての知識):
- 人間の行動や社会の仕組みについての深い知識を持つこと
- クライアントが直面する問題について、個人的な背景と合わせて社会的な要因を考えること
- 世間知で、カウンセラーはクライアントの問題を多角的に理解し、より効果的なアドバイスや支援を提供する
ようやく最初の話に戻ってきますが、専門家に常々意識してもらう、知ってもらうということは、より良い相談を受けるための日常的な下地になりえます。顧問という形態はこの点への意義があると、改めて感じます。
あくまで、「ふつうの相談」は、多様なものであり、今回の考察も書籍の一部から考えたことの一端です。日常の「ふつうの相談」について、日々もう少し考えていきたいです。
【編集後記】
英語でのYouTubeも少しずつ登録がしてもらっています。まだまだですが、コツコツ続けるつもりです。
【運動記録】
ストレッチ○
【子育て日記(息子7歳0ヶ月、息子3歳6ヶ月)】
仕事の合間で、子どものゼッケンを買ってきました。そろそろプールの季節ですね。