大学時代の文章を見ていて、
「どう過ごすのが一般的なのだろう」
というコメントを見つけました。
言い回しとして使っているものでしたが、今見てみると「一般的な過ごし方」を気にする必要があるのか疑問でした。
一般性への合致が、私にとって役に立つのかは疑わしいです。
それと同様に、人生の決断において一般的な行動が正しさの証明になるのかも疑わしいです。
(交通ルールを守るというような話ではありません)
独立や目標に向かう際に、「一般的でない」と言われたとしても気にする必要がないと改めて感じます。
誰かに言われた遅い
独立の関連で相談をたまたました人(仮にAさん)に、タイミングが遅いと言われました。
その瞬間はショックではあったのですが、その方はもっともっと早い時期に独立した経験をお持ちのため、そういう瞬発的なコメントを発したのだと推察します。
その人を選んだ自分の見立てを反省しつつ、気にしないことにしました。
Aさんとはその後特に独立関連の話はしていません。
一瞬の時点での批評はされても、時系列において評されているわけではないです。
金銭を稼ぐための独立として、その方の発したコメントが合っていたのかどうかはわかりません。
少なくとも私には合っていなかったのだと考えています。
「一般的」は、それほど一般的ではない
Aさんの「一般的」とはどういったものだったのでしょうか。
Aさんと同じような時期に独立する、あるいは、Aさんの周りの方と同じような時期に独立をすることが一般的とういことでしょうか。
最近では60歳を超えてから独立する方も見受けるため、Aさんにとってはそのような人たちもイレギュラーで、「独立するには遅い人たち」なのでしょう。
では、Aさんが60歳を過ぎて独立する人たちにいちいち、「遅い」とコメントしているかというと、当然言っていません。
言いやすい、言いにくいもありますし、仮にAさんの一般的な基準から外れていようが、私にとってはあまり価値がありません。
婚活市場で言う「普通の人」がいない問題を思い出します。
ほどほどの身長、学歴、年齢などをかけ合わせて「普通の人」を定義すると、そんな人は5%にも満たない数値しか存在せず、そしてすでに既婚者であると。
この「普通の人」を言う際の「普通」と同じように、「一般的」は「望ましい時期の集合体」を想像していたのではないでしょうか。
一般的を突き詰めた上での「一般性」は世の中に稀有な存在ですし、一般性に合致してもその先の成功を約束するものでもないかなと感じます。
今より早いスタートはない
人生にはタイミングがあり、その人の取りうる状況は諸事情により異なります。
前提が異なった上で、「遅い」と比較するのは意味をなしません。
また、「遅い」ことがそれほど問題になるでしょうか。
定年が伸びています。
寿命も伸びています。
若い時期(学生の時代)が伸びるわけではないので、これらは、おじさんやおばさんの時期が長くなることになります。
「遅い」とおっしゃったAさんは、何をもって「遅い」と言っているのでしょう。
先入観と自分の感覚の塊を押し付けているのではないでしょうか。
平均がブレる時代であるし、正しいはどこにあるのかわかりません。
平均値だからといって幸せを感じる時代は過ぎ去ったと考えます。
逆に一つ正しいことは、「今より早いスタートはない」ということくらいです。
自分の中の整合性を合わせていこう
時期や行動が一般的かは、なんとなく気になるところです。
他の人がやっていることを自分がやっていない場合や、自分がやっているけれども他の人は何もしていないとか。
でも、考えてみてください。
Aさんの言葉がどれほど意味があったのか。
突き詰めれば、Aさんが言うことは「私と違う」「私の基準と違う」ということです。
Aさんと違うのは当然です。
言われた私はAさんではないのですから。
だからこそ、言われても気にしないことを分けて、一般的な時期や一般的なことを気にせず、自分に自信を持って進んでいきましょう。
ブログを始める人、スモールビジネスを始める人、合うタイミングというのはあなたのものです。
自分を基準にプラスの評価をして進めていきましょう。
【編集後記】
自粛と積極的に言うと萎えるので言わないことにしています。
接触で抵触しない行動を中心に楽しみました。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【子育て日記(3歳・0歳)】
食事時。
「はやくごはんをたべなさい!」と言っているのを真似されました。
まねまねする時期になってきたみたいです。