とある書評で、「就職活動が成長の機会になる」というものがありました。もちろん、なる場合もあると考えます。入社が決まる前から、確約型のように成長を促す、教育をしていくというのが最近の就職のトレンドでもあります。採用側が教育を用意していますから、この言い方も納得できます。
しかし、それは最終的に成功をした人が言える言葉と考えます。成功をしなければ、その先に進むことが難しいです。先に進めない、悪い印象のままでは、成長の機会と認識できないでしょう。
世界が救われるからゲームになる
ゲームの世界では、基本的に世界が救われるからゲームになるのです。
派生や面白みを出すものとして、バッドエンドも存在はしますが、ゲーム自体がやり直せるものであることには変わりありません。完全バッドエンドもよりも、うまくやればどうにか世界が救われるという話の方がゲームでは王道です。
結局、人が楽しんだりすすめるのは、世界が救われるという幸せな結末が待っているからなのです。救われない世界においては、そこで得た経験を糧にして進むのは難しいです。役立てるものというよりも、忘れていくべきものになってしまいます。
成長機会論は、教育者や幸せな結末を持った人から
就職活動が成長機会だという表現をした方は、教育関連の方でした。その先が見えていなかったり、挑戦すること自体の価値を認めている場合が、教育関連の方に多い気がします。
その人にはその人の論理があるので、頭から否定をするつもりはありません。
しかしながら、結果が伴わなくても経験を得られればいい仕事についている方と、結果が出ないと困る仕事についている方では、機会を考えるときの見方が大きく違います。
分かり合うためにもこの違いは理解しておきたいものです。
立場の観測と質問を
どちらを良いとするかは、教育的な立場に軸足を置いているのか、結果が大切と考える立場に関わっているのかによってことなってきます。
私個人は、結果が出る方が大切と考える立場で、今回のように教育的な経験論を強調するいい方は相容れないところがあるのを感じました。しかし、ケンカをしたいわけではなく、どういう考えの違いからこのような受け止め方の違いがくるかは、理解しておくのがいいです。
教育的な立場の方は、それなりの数世の中にいます。というのも、結果が出ないことの方が多いから、その他の部分できちんと得るものを考えておかないと、厳しい世の中になってしまう場合があるからです。
質問の内容とともに、相手の立場も合わせて理解しておきたいです。