独立してから、感覚的に否定されている気がすることがあります。
独立する働き方とそれ以外の働き方はもちろん違います。だから、それ以外の働き方から見ればどこか自分を否定されたように感じるのかなというのが、後々見たときに推測したことです。
同時に考えたことは、あつれきを感じたときにそれを真剣に数える必要があるかどうかということ。独立するときや、してから親切にしてくれた人もたくさんいます。
親切にしてくれた人をもっと覚えておきたいと自戒します。
けなされたら覚えやすい
けなす人は覚えやすいです。
何か悪いことを言う人がいれば、違和感を覚えます。違和感は残るし、ネガティブな感情が強いというのは、生存本能からでしょう。しかし、生きるか死ぬかを脅かされるほどのことはなく、単なる名残としてネガティブを強く感じているはずです。
意識をしない場合には、そういう悪い感情をくれた人を覚えやすいです。それでいいかどうかです。自分の記憶容量がたくさんあるわけではないですし、たまたま、意図せずともネガティブな感情を抱かせた人にその大切な領域を割いておくべきでしょうか。
親切は意外と忘れやすいし気づきにくい
逆に親切にした人を意外と忘れていることがあるんだと。というか、親切にしたのに忘れられていることがありました。
主観なので測りにくいところですが、数日相談に付き合って、その後の悩みまで再度付き合って。それでも、数ヶ月したら、全く白紙で顔を合わせてくるような。その人にとっては、誰かが悩みに付き合ってくれたことよりも自分の悩みをどう解決するかということが気になったのでしょう。
その人だけでなく、他でも類似のことがあります。数例当たると、ネガティブな印象をくれるわけではないので、人の親切は忘れられやすいんだと考えさせられました。
大切にすることが何かを意識
そんなわけで、独立すると無意識であっても悪くしてくれる人、意識的に良くしてくれる人がいます。そういう人たちを自然の感情で理解してしまうと、前者を覚えて後者を忘れることにつなげてしまいがちです。
親切にしてくれた人を忘れるというのは、人生の良い人を忘れることになり、生を楽しむことから離れると考えます。だから、どこかにメモして、きちんと整理しておきたいと感じます。
【編集後記】
いろいろあります。。
【運動記録】
ストレッチ○
【子育て日記(6歳・2歳)】
英語を一緒にしていると、どの発音が正しいかということがたまにでてきます。国によっても違いますし。最近は、一つを覚えてから、相対的な位置関係を示すのがいいかなと、感じます。