心はケガが見えにくいし治りにくいので、大切に

気持ちの病気になってしまうのは他人事ではありません。

気持ちが強い(と認識している)方にとって、特にこういった病気は他人事です。
でも、そのように自分にタフネスがあると考える方がなってしまっている例を散見します。

気持ちの病気を「心のケガ」とここでは称して注意喚起でまとめてみます。
社会的な抑圧状況でストレスを暗に受けている方も多いので、気にしていただきたいところです。

 

*疲れているのかどうかわからない様子

 

もくじ

心のケガは見えにくい

心のケガは、最初から心のケガとは認識できないものです。

心が傷んでしまっていて、しかもしれが身体に現れることによって、ようやくケガをしていることに気が付きます。

例えば、体温が高いままであったり、やる気が出なかったり、動悸(どうき)やめまいがあったり。
心のケガは別の場所の不調として現れるまで認識しにくいのです。

なってしまった方と話をすると、「自分がこのようになるとは想像してなかった。自分は強いと考えていた。」と。

ストレスへの耐性がある方は、大きなストレスを受けても立ち向かいます。
立ち向かって耐えられる程度であればいいですが、それを超えてしまうと受け流さずにまともにそのストレスを浴びます。

それで折れてしまえば、「強かったのに心のケガにかかってしまった」となるわけです。

 

心のケガが治りにくい

治療期間はかなりを要します。

すり傷や切り傷であれば1週間や1ヶ月などで治る小さなものを想像するでしょう。
でも、心のケガの場合は、初期診断でも数ヶ月単位をお医者さんから言われる場合があります。

一度治ったとしても、その後に再発する可能性があります。
再発をしなくても、再発する恐怖のようなものは残ります。

一度なってしまうと治りにくいものであるため、できる限りならないように、強いうちから注意をしておくべきものでしょう。

 

がんばりすぎるはいつまで続く?

「一時期がんばる」というのは必要な場面があるでしょう。
でも、ちゃんとそのがんばりの終わりを見据えていますでしょうか。

「いつまでもがんばる」のは無理があります。
いつ終わるのか、終わりが遠ければ小休止を入れているのか、ちゃんと考えましょう。

7つの習慣で有名な、刃を研ぐことと考えれば、小休止も悪くありません。
見えませんが、心は摩耗していきます。

同じ小言を言われても、受け流せる場合と、ぐさっと来る場合とがありますよね。
言い方や言っている人も要因でしょうが、それと合わせて受ける側のコンディションも影響します。

心が弱っているときには、受け流すのが難しいです。

誰かの言葉が自分にぐさっと来るとき、相手の態度も注目するべきところでしょうが、あなた自身の心の状態を測ることにもぜひ使いましょう。

ストレスを受けたのであれば、すでに大きなストレスを受けていたことが原因かもしれませんので。

 

ハードなときほど心も休める

大きなプロジェクトに立ち向かうときには大きなストレスがかかります。
大きなことを成し遂げようとするときは、それに見合うくらいのお休みもちゃんとセットにして用意しましょう。

学校教育でがんばることが美徳とされている場面が多かったことに由来して、休みが良くないものという印象を持っている人もいるかもしれないから、改めてここで言及したいのです。

休むこと=「サボることや努力しないこと」はないのです。
心のケガをしないためにも、ちゃんと休む、身体だけでなく心もケアすることを大切にしてほしいです。

普段なら怒らないようなことでイラッとしてしまった人で気になった方は、少しだけお休みをして心もケアしてみてくださいね。

 

【編集後記】
組織の論理が強すぎる事例を見かけました。
内部では整合的なのでしょうが、その外部とは全く合いませんね。

【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○

【子育て日記(4歳・0歳)】
「子どもとの時間を増やせばしごとができず、しごとの時間を増やせば子どもへ使えるお金が稼げない。」

ベルギーの方と話していたときにこんな言葉が出ました。
場所が違くても同じような悩みは出てくるものですね。

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