適度な量の情報を摂取することが大切なのは、食べ物を摂取して消化する行為にとても良く似ています。
栄養にして動くためにはある程度の摂取が必要です。
でも、食べすぎを考えれば、その後動けなくなることもありますよね。
適度な量の食事はイメージしやすいです。
情報はどうでしょう。
適度な量以上の情報を取ることは、食べすぎに近い状態になってしまいます。
情報についても量の意識が大切です。
たくさん食べたい誘惑
食べたい誘惑を理解できる方は多いでしょう。
食に興味がない方もいらっしゃいますが、空腹があるのだから、食べたい欲求は大小はあれ存在します。
そして、たくさん食べたいという方も一定数存在します。
食べることで栄養を摂るという目的を離れて、食べること自体が目的となることも否めません。
ストレスがたまったときにたくさん食べたいという場合もあります。
情報のとり方についても同様だといえるでしょう。
情報をたくさんとるのは、消化して栄養にするためです。
でも、食べ物と同様にたくさんとりたいという欲求があります。
情報をとること自体が楽しいと。
もちろん、その楽しさが否定されるものではありません。
ただ、目的が楽しむことではなく、栄養とすることであれば、楽しさにとらわれすぎていないか、確認が必要です。
食べること自体の楽しさにとらわれすぎているのと同じく、情報をとることの楽しさを味わうことが主になっている可能性があります。
栄養になっているかの確認
楽しさから離れて栄養になっているかの指標はどこに置くべきでしょうか。
わかりやすいのは、行動が変わっているか、発信ができているかです。
行動が変わっているかは意外とわかりにくいので、正確に測りたい場合は定量的な計測がオススメです。
XXに行く回数が増えた、XXする回数が増えた、XXを減らした……などなど。
そこまで厳密でなくていいなら、なんとなく変わったかどうかでもいいでしょう。
その実感がなければ、情報が栄養になっていない可能性があります。
発信ができているかも情報が栄養になっているかの指標です。
発信というと、SNSでの発信に目がいきがちですが、立場やプライバシーで制限もあるでしょうから、身近な発信も入れて数えます。
所属している組織でも、友人に対してでも、創作活動でも。
これら広義の発信において、増加がみられるなら、栄養になっていると考えていいでしょう。
栄養になっていなければ、食べ物と同様に、不健康の源になっている可能性があります。
メタボリックシンドロームやら、病気のはじまりやらが考えられます。
情報においては、あまりに情報が多く手元が混雑してしまう、やりたいことができない、など考えられるでしょう。
制限すること、厳選して消化すること、発信すること
情報が多いと感じれば、消化する力を増やすよりも摂取を制限することが手っ取り早いです。
スーパーマン/スーパーウーマンのようにいろいろなことがこなせればいいのですが、情報過多の状態で手元が混んでいる状態から、何かを変えるのは難しいでしょう。
まずはいったん、整理してなくしてしまうことから始めると、想像以上にスッキリと次の行動に移しやすくなります。
その上で、とりたい情報を吟味して取り直しましょう。
網羅的にこなしたい欲求は、誰しも考えるところです。
でも、現実に網羅的な摂取を実現するのは困難なことが多いです。
それであれば、厳選して消化しましょう。
苦行よりも、とりたい情報をまず優先していとり、消化した後に次の情報摂取を考えます。
網羅するよりも、少なくて済むなら、そういう省略を積極的に行ってもいいかもしれません。
また、発信できることは情報を上手にとったことの指標になります。
適切な摂取のバロメーターとしての役割を念頭において発信すると、発信の意味合いも変わってくるでしょう。
もし、消化不良であったり、うまく情報を使えていないと感じた方は、摂取の量が適切かを見直してみましょう。
【編集後期】
年度末のにぎわいを少し感じる日でした。
袴やら引っ越しやらのあわただしさを目にすると、雨ではありますが、春っぽい印象を受けます。