「修士論文はいいものを書きたい」とみんな考えるはずです。
でも、指導教員側と話をすると、「ホームランばかりではない。ヒットも狙おう。」とアドバイスを受けます。
これは修士論文というだけでなく、論文全般に対しての言及でしたが。
でも、息詰まりを感じる方にとって、有用な心がまえです。
少しまとめてみます。
狙ってもホームランばかりを打てない
論文を書き始めると、いいものに仕上げたいなと当然考えます。
良い論文を目指し、誰も言っていないこと、誰も気づいていないことを求めて書き始めます。
でも、なかなかそういった論文にはたどり着けません。
「教授陣と肩を並べるような新規性を念頭に置きつつも、もっと気軽に突き詰めていってはどうか」というのが、とある教授との話でした。
もちろん、一つ一つの論文が質の高いものになるように努力をするはずです。
でも、実際にホームランばかりを狙うと、空振りばかりで出塁できません。
ヒットを打つつもりでむかってみる、ヒットを積み重ねることで得点をすると方針を変えてはどうかというのが、ここでの教授の趣旨です。
論文は論理で突き詰めていくわけですから、すべてが新規性というよりも、「どこか一点でも新規性があればいい」くらいの進め方の方が妥当でしょう。
「修士論文では納得がいくものまで仕上がらなかった」というセリフを複数の教員の方から聞きました。
それくらいのものなのです。
修士論文は手習いの位置づけと考える指導教員もいる
博士論文を念頭に置いた指導教員であれば、修士論文は手習いの位置づけで考える指導教員もいます。
一点物しなければならないと気負う必要はないのです。
絵画で考えてみましょう。
有名な絵画でも、そのプロトタイプのようなものがたくさんあります。
市場に出回っていないだけです。
一部を練習として書いてみたり、構図の一案としてつくってみたり。
有名なもの、一点物として出ている作品であっても、よくよく調べれば前段階の練習したものがあります。
修士論文も同様です。
すぐに芸術作品までいかなくてもいいのです。
まずは、習作を目指す気持ちで取り組みましょう。
それが秀作になっていけばいいのですから。
認定レベルは超えるようにしよう
なお、大学院を修了はできるが免除を取れないレベルというのも存在します。
「修了はさせてあげるけれども、免除は取れないかもね」という言葉をもらった方を知っています。
大学院の権限としてはその学びを認めるけれども、税法免除として足りないということは、大学の認定レベルよりは少し上にならないと免除をもらえないという認識です。
さりとて、絶対的な新規性が認定に必要とも考えませんが。
おそらくは指導教員は免除の認定を書面に書く際には、一定のレベルを超えているという方針を国税庁の関連から受けているのかなと。
必要な文献数などありますので。
書いては捨てることを苦にしない
良い作品の前には、習作がたくさん存在します。
私たちが目にしているのは、作品として出てきた氷山の一角のはずです。
修士論文を書いていれば、少なくともその3倍以上は、表に出ずに捨ててしまっているものです。
中間発表で出たもののうち、実際に最終提出でどれくらい残るでしょうか。
極端な例ですが、私は3割も残していないかなと。
捨てすぎるとその後の書き直しの時間がなく、辛いかもしれません。
むやみに書き換えを奨励する気はありません。
言いたいことは、今はうまく書けなくても、続けていればそれが足がかりになって次につながっていくだろうということ、そして、ホームラン狙いの大ぶりではなくヒット狙いでコツコツまずは進めてみてはどうでしょうかということです。
税法の修士論文がうまく仕上がっていない方のちょっとしたヒントになればうれしいです。
【編集後記】
簿記の講義をしました。
実務に必要な背景と合わせてできる限り平易に、練習もさせる方針です。
受講した人は、一応しっくり来たみたいです。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○
【子育て日記(4歳・0歳)】
ポケモンを一緒に見ました。
そこそこ気に入ったみたいです。
大人から見ると刺激が少なめですが、R指定に入ることもないので安心して見せられます。
R指定というのは、こういう観点ですね。