修士論文は博士論文の前段階で基礎づくりの位置付けです。
突飛内容が珍重される訳ではなく、博士論文で持論を展開するために基礎的な論文技術がしっかりとできていることも目標とされています。
その意味で、どんな結論に至ったかだけが大切なのではなく、どんな道を通って論理展開するかも評価されます。
その意味では人生と似たところがあります。
論文を書くときも、題材を選ぶときも、「結論が出ているから」と、探求することをあきらめないことが大切です。
同じ結論に至っても、過程が結論に深みを与える
修士論文において、結論だけが大切な訳ではありません。そこに至る過程が、結論の正しさや結論の適用範囲を規定していきます。
ものごとが複雑になってくるほどに、○×に場合分けが出てきます。
Aという条件下では○、でも、Bという条件下では×ということもありえます。
同じ結論であってもその適用範囲を広げられるのであれば、新しい発見になりえます。
同じ結論であっても、その適用範囲の間違いを見つけられるのであれば、これまた新しい発見でしょう。
小学校の算数の結論のように問を考えるとその差が出にくいと感じるやもしれませんが、それほど単純な問を見つけることは逆に難しいです。
他の人と同じ問に対する結論だとあきらめず、結論を補強するための過程を大切してみると違った深みを出すことができます。
結論を追い求める姿勢が本質
考えることは、何かに至ることではなく、何かに至る姿勢と考えることができます。
「考える」ことの良い例である哲学分野において、カール・ヤスパース(1883~1969年)は「哲学の本質は真理を所有することではなくて、真理を探究することだ」としています。
ヤスパースが初めて探求姿勢について言及したわけではなく、プラトン著のプロタゴラスにおいて「あること」と「なること」が峻別されています。
人生においても結論だけが大切ではなく
人生においても何かに至ることだけではなく、その過程が大切にされることは理解されやすいのではないでしょうか。
結論だけを肯定していくのも一つの方向性ですが、とても優秀な方でないと息苦しさを感じるはず。
人は失敗することもたくさんあるわけですから。
同じ仕事に至ってもそこまでの過程は違います。
大切にしていることも違います。
社会に提供する役割も違ってくるでしょう。
結論だけが大切でないのは、人生も論文も同様です。
「結論が出ていること」として「探求をあきらめる」はやめよう
結論が出ているように感じることはたくさんあります。
しかし、「探究心をあきらめる」はやめましょう。
結論だけが大切でない姿勢は、少しだけやさしい世界を実現できます。
過程を評価対象に入れるのは結論だけを求める弊害がわかっているからです。
そして、論文においても結論だけが大切はないと認識しておきます。
論文の題材選定において、別の人が同じような結論に至る論文を既に書いていて、やる気を失っている場合を目にします。
でも、これまで述べた通り、結論が同じでも適用範囲やそこに至る道筋が変わってくれば、厳密には別の結論に至っています。
脳に汗をかくのは大変なストレスのときもありますが、上手に自分を肯定しつつ自分らしさにあふれる過程をぜひ通ってください。
【編集後記】
昔に制作したウィルスが関係するエンタメを見ると、今の社会背景を伴ってか危険性が高く見えてしまいますね。
【運動記録】
ジョギング○ ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【一日一新】
甲鉄城のカバネリ
【子育て日記(2歳)】
今日はブリの照り焼きを作りました。
見た目が最初気に入らなかったのですが、一口食べてしばらくして美味しかったようで、その後はパクパク食べてくれました。