ワークショップの合間のアドバイスにおいて、どこまで踏み込むか振り返りをしていました。
おそらくその時間の中で気が付いたことは20個くらいはありました。そのうち、バランスを見て指摘したことは5つ程度。
優先度を考えながらの指摘なのでこれくらいで十分と考えましたが、アドバイスする立場の人は20個全てをアドバイスしようと当初考えていたようです。
パターナリズム的な発想を持つことが本当に良いかどうか。あるいは、アドバイスする人が気が付く能力をこちらにアピールしていたのか。
答えが決まっていることを学ぶ必要性がどこまであるか
パターナリズムは父権主義といわれます。上から目線で学ぶべきことを決め、課題が満たされていなければお尻をたたきながらでも学んでもらうものです。
父権主義が悪いわけではありません。学ぶ段階によって意義があります。
ただ、ことワークショップにおいての父権主義がどこまでなじむかというと、原義から考えれば水と油でしょう。
そもそも創造的な場を作ろうとする中で、答えが決まっている目線で何か学ぶ必要性がどこまであるのでしょうか。
創造性が想像の範疇を出なくても
ファシリテータの想像の範疇を超えない場合に、どうしても何かを促したくなります。
もちろん、ファシリテータですから促して構わないのですがあくまで促し。
学ばせる。新しいことを出させる。楽しませる。
使役的な考えはあまりなじみません。
強制感や狙いを持たせ過ぎるくらいなら、失敗してもらった方が結果につながります。
いわゆる、成功の原因は特定しにくくても失敗の原因は明確にあるのですから。
本人にとっての意味
一番大切なのは、本人にとっての意義をどれだけ積み上げる場を作れるかです。
高校・大学を見ても、カリキュラムがしっかり組まれています。組まれているからこそ、失敗をしたり無駄をしたり回り道をしたりする機会は幾分か足りないです。
「回り道」という言葉の聞こえは良くないですが、本人にとっての意味を積み上げることは人生の中後半で意味を持ってきます。
場の狙いすぎには注意をしながら進めていきましょう。
【編集後記】
久々のワークショップ企画。序盤が終わってから参加してくれる人の顔つきが変わってきました。そういう変化を見られるのも楽しみの一つです。
【昨日のはじめて】
毎日骨ケアMBP
【子どもと昨日】
スーパーに行って一周お散歩しました。そして二週目はカゴを持ってもらって。
少し引きずり気味ですが、カゴを持ってお花の成長剤を選んで入れてました。お手伝いしてくれている気分なのかなと、想像します。
「一緒にする」って気持ちを大切に二人の時間を積み上げたいです。