毎日は比較的平凡に過ぎていきます。
毎年のクラス替え、数年おきに学校を変わる。そういった変化がなくなり、週刊誌を待つことが待ち遠しくなくなった年代にとって、日々というのは兎角平凡に過ぎていきます。
しかし、その日も二度とは来ません。変化がないようで変化が起きている。一日一日を大切にしようという気持ちは毎日持ち続ける些細な気持ちです。
「その日は二度と来ない」はその日には意識しない
その日が二度と来ないことも分かっています。
過ぎ去った時間の連なりを懐かしむことも、その日にはできません。
その日が二度と来ないというのは、その日には意識できません。大切さを理解していないわけではないですが、時間が経ってからでないと大切さを認識できないことが往々にあります。
非日常(地震)が起きて意識される
先日起きた地震で、身の回りでも何もない日の大切さを感じるコメントだったり、電車が止まった中で通常の日のありがたみが分かるという話も出てきていました。
人によっては数時間歩いて普段と違う経路で自宅へ帰った人もいましたので。
非日常が日常を意識させる。区分けされたものがそれ以外を浮き彫りにさせる。その通りなのですが、普段からありがたみを感じられないものでしょうか。
非日常を日々意識することは難しいが、二度と来ない日と考えて大切にする
非日常を意識しないで日常をどれだけ大切にできるかは難しいところです。
しかし、二度と来ない日と頭のどこかに考えておくと、些細な差異であったり動きであったり、意識したり楽しむ隠し味にもできます。
二度と来ない日。書き立ててしまっていますが、さかしらにすることなくどこかに持っておきたい気持ちです。
日々できることを続ける
意識した上で、日々にできることを続けることも意識をするといいでしょう。
学生時代や就職始めのように、日々が劇的に変化する時代でない方は今日の延長線上に明日がしっかりと存在します。
日々を大切にするのと同時に、日々にできることをしっかりと続ける。そういった姿勢もその日を特別にする方法になります。
日常と非日常。その区分けをしっかりと意識して日々を大切にするきっかけにしてはいかがでしょうか。
【編集後記】
地震の後、友人らの家では外壁に亀裂が入ったり洗濯機が倒れて水漏れがしたりと、被害が聞こえてきました。
安寧な日に戻るにはもう少し時間がかかりそうです。
【昨日のはじめて】
SAO オーディナル・スケール
【子どもと昨日】
帰って一緒にお風呂に入ります。地震の影響でうまくお湯が出なかった昨日。今日もお湯の出が悪いようです。
また、ガスの栓を確認に行かないといけないと考えてふと見ると、子どもが全力で温度を「水」にしていました。そりゃお湯は出ませんね。