人にとって代わるAIの話はどこでも出てきますが、取って代わった後の価値を評価するのは人間です。人が評価するものも、取って代われれにくいものです。
AIが将棋で名人に勝った話をどう思うか
ある程度まで、AIが人に対して強くなった時は面白いとその彼は感じたそうです。一方で、AIが完全に人に勝つようになってからは、意味をなさないのではないかと思うそうです。
これは、競技者が人間だから魅力になるということです。
人同士が考え抜いて出した答え。その息づかいまでが緊張の場を作り出します。
将棋が知的スポーツと考えれば、バーベルで機械が人間より重いものを持ち上げてもなんの感動にもつながらない。
それと似ています。
評価するのは人
将棋のAIが進んでいって、パソコンの画面がマッハで動いて将棋を打つようになっても、何にも魅力的ではありません。
評価するのは人であり、人の知覚を超えてしまっては認識できないからです。
機械のボトルネックは人にあるようになります。
人が人に惹かれるのは理屈でない魅力
認識範囲のスピードでAIが将棋を打ってくれていても、依然として魅了のないものです。
人が人に惹かれるのは、理屈ではない感覚があります。
AIと同じことを同程度かそれより下回る程度で行ったとしても、人の方を選んでくれる需要はあるなと。
何に求められているかを見直すいい機会になりました。
【編集後記】
子どもの写真をどこかで撮ってもらおうかと考え中です。あんまり出費をしたいわけではないのですが、自然な写真ができるところを探したいものです。
【昨日のはじめて】
子どもとベビーカーで夜のお散歩
【子どもと昨日】
熱がようやく下がり久しぶりに保育園に連れていきました。朝行くと、年長組の女の子が子供の名前を覚えててくれて、呼びかけてくれてました。
年齢を超えてつながっていけるのは、これから必要な力かなと感じます。今から、そういうことが当たり前になるといいです。
ゴミ捨てもしてくれます。親の真似をしたいのか、ゴミを袋から出してオムツのゴミ箱の中に入れてくれるようになりました。今度は分別を教えたいです。