ワークショップが向く問題と向かない問題があります。
向く問題はこれまでの理詰めの方法によって解決できないからこそワークショップのよさを認識して導入がされてきたと考えるべきでしょう。
逆に、今まで手法で良い分野にワークショップをわざわざ導入するべきでないことは特筆するところ。
合わないところに合わない手法を取り入れる人が多いことが、ワークショップ嫌いを増やしている原因にも感じます。
ワークショップが陳腐に感じる理由
ワークショップ嫌いの人にたまに出会います。
かくいう私も、このワークショップされたら、「ワークショップ」と名のつくものには寄らないだろうという会にも参加したことがあります。
大きく分けると、その理由は3つ。
2. 気持ちを交わらせることの苦痛感を強要している
3. 前提が共有できる必要な時間をとっているか
わかる問題をわざわざワークショップで解く
典型なのは、ワークショップで当たるべきでない問題にワークショップを使っていることです。
多くの人の意見を交わらせるまでもなく、自力で解けてしまったり専門知識の前提の積み上げが必要であったり。
そういった類の内容にわざわざワークショップを使う意味はありません。
例えば、統計的な手法でのアプローチをワークショップで話し合おうとした場合、何を求めるかを前提知識が必要のない範囲で共有することはワークショップにちょっとは向くかもしれません。
しかし、どの方法が適切かをワークショップで考えることをしても、わかる人は物足りない集まりになってしまう。わからない人は、どう頑張ってもわからないままで終わってしまう。
問題設定のためのワークショップであれば少しは意味が出てくるかもしれませんが、一人で解けてしまうようなものにワークショップをあてがう意味はないでしょう。
気持ちを交わらせることへの苦痛感
仮に複数の意見を等価で扱うような場所があっても、参加者全体に気持ちを交わらせることへの苦痛感があれば、「嫌な会だった」との評価に終わるでしょう。
社会人であればおおよその方は初対面の方にある程度打ち解けてくれます。
しかし一方で、どこかに壁を持っています。
これは当然で、社会に出たらある程度の意見の交わりを持つ力を身につけます。そして、社会に出れば色々な人がいるために、壁も同時に設定します。
気持ちを交わらせることへん苦痛感は、この壁も原因です。
互いの距離感を上手に溶かしながら進行する力が必要です。
必要な時間をかけていない
前提の把握、上記で述べた気持ちの共有に本当に必要な時間をとっているでしょうか。
ワークショップは、生産性を重視したやり方ではありません。
全体が意見をのべる。それに対して反応する。そのような流れを持つ会はどうしても効率的に運営できない会になってしまう。
それを避けるために、進度をコントロールしながら、ときにははしょりながら進めていきます。
だからこそ、知識でも気持ちでも共有してお互いを信用して進められるような環境を仕掛けがわは用意できているか、考えておくべきところでしょう。
等しく意見に重みの出る分野はワークショップが向く
では、逆にどのような分野においてはワークショップの手法が向くか。
それは、意見に等しく重みが出る分野と定義します。
具体的には、消費者向けの商材の会社が一例になるでしょう。
知識がなければ、その製品を初めて買う人の気持ちを推し量ることができます。
知識があれば、リピータのお客さんの声を反映しやすいようなワークショップができるかもしれません。
知識がある人ない人、経験がある人ない人らが等しく評価されるような場面であれば、意見をお互いに珍重して行かなければなりません。
こういう分野はワークショップが向いていると言えます。
何が正解かはっきりしない世界のアプローチ
何が正解かはっきりしない世界において、ワークショップは優れたアプローチです。
相手の見方、多様性を認識、尊重しながら進める手法はとても理になかっている。
しかし、上述のような専門知識を積み上げるようなワークショップは、適切な時間を取れるかもあり、ワークショップによる解法アプローチが向いているとお世辞にも言いにくい。
まとめとして
ワークショップは流行っています。
だからと言って、何でもかんでもワークショップでは解決できません。
この問題はワークショップが適切だと考えた上でワークショップを使うべきです。
もし、ワークショップの方法に惹かれるものがあり、運営を考えるなら、再度やり方を見直して万端で考えていきましょう。
【編集後記】
夏休み期間ですが大学の授業は続いています。
ためにはなりますが、ペースを上手に作るようにしなければ。
【運動記録】
ジョギングX ストレッチO 筋トレO サプリO
【一日一新】
モチーズ
【子育日記(2歳)】
二人でゴロゴロと。