正解って難しいです。
突き詰めると正解が何かって難しい話です。
でも正解がいいなと通常考えます。
手順ややり方が決まっていて正解が多い
仕事であれば、合っているかないかが
わかりやすい。
そうすると正解だとわからない選択肢を
取りにくくなります。
こういうときこそ、「仮の正解」でいいとして
進んでいくことが大切です。
絶対の正解がある方が少ない
そもそも論で、絶対の正解があること
の方が少ないので、正解を選べるという
前提が難しいことが多いです。
教科書の記述が変わっている例がわかりやすいですね。
- 鎌倉幕府:「1192年」→「1185年」
- 「聖徳太子」が「厩戸皇子」になったり戻ったり
- 士農工商の表現が消えたり
上記は年代によって「そうだ」と感じる人もいれば、
そもそも変更後の理解の人も。
教科書の内容が変わるのですから、
学ぶ内容の価値は変わるものとわかります。
学ぶ内容がかわれば、学ぶ価値のある内容も
変わっていきます。
そんな中だと、絶対の正解を選びたい症候群から
抜ける方が選びやすいです。
情報を集めきっても決まらない
そもそも絶対の正解なんぞはわからないのですから、
情報をいくら集めても確定はできません。
どこかで「えいやー!」と決めないと進まないのです。
確定過程は、どこかに論理飛躍があります。
納得ができるまで調べるかもしれませんが、
決めきれないことも往々にしてあります。
誰かに相談をして頭の中を切り分けると
その論理飛躍を気にならなくできるかもしれませんが、
決まらないことは決まらないのです。
立ち止まり続けない
やっていることが正しいのかを逐一考えて
立ち止まり続けると、正解に近い選択肢であっても
失敗する可能性が高まります。
考えることが常にいいわけではなく、
やり方を決めたらその方向でやりきる
実行することが大切になってきます。
「仮の正解」でいいんじゃないか
正解を見つけてから行動した気持ちは
みんな同じです。でも、「仮の正解」で
決めて進んでもいいのではないでしょうか。
ある程度突き詰めてみる。
違和感を感じる。
方向を修正する。
そうやって、動きに変化をつけていくと
決めておけば、最初から完全な正解を
見つけるまで動けない、動かないと
しなくてもよくなります。
その代わり、間違うことがあることや
方向転換してもいいことを前提に置いて
おくと、後で動きやすくなれます。
割り切れなければ背中を押してもらう
「仮」では自分が動く根拠にしにくいと
感じる方であれば、誰かに背中を押してもらいましょう。
誰かに頼ることも一つの方向性。
自分で決めないと正解でないというのも
修辞的に違うと言えますし。
よい結果に向かって進む。
そのために自分に合った方法を使う。
正解に向かうやり方も固定しきらず、
柔軟に動くことも選択肢に入れてみましょう。
【編集後記】
子どもが寝ていたので、のんびりと
夕飯を作りました。
【運動記録】
ジョギング○ ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【子育て日記(3歳)】
長いお昼寝をして起きると、
目の前にあったおもちゃを見て
「きのうかってきたの」と言っていました。
買ったのは、今日なのですが。。
寝たら次の日になるという認識みたいです。