人生の振り返り番組を見かけます。
どこで人生を総括するかはその人によります。
ただ、どこで物語を切るかによって、その結末が変わってきます。
どこで区切るかは自分で決めたいです。
いつ区切るかに早い遅いはないでしょうが、少なくとも自分はまだ特番のように振り返るにはまだ早いと考えます。
もくじ
区切る位置は自分で決めたい
人生を区切る、振り返るという位置は自分で決めたいなと、その特番で感じました。
どういった物語の一応の終着点を見出すかは、自分の人生だから自分で考えたいです。
実際の終着点はなかなか選べません。
どこでなくなるかは、神のみぞ知る。
旅立ちたくてもそうできないし、旅立ちたくなくても迎えられることも。
であれば、選べるものは自分で決めたいです。
若くても振り返りたくなるときがあります。
わたしが人生について全く振り返っていないわけではないです。
ちゃんと記録も反省もしています。
でも、物語を軽くでも閉じるときではないです。
振り返りが別の何かを固定化しないか
振り返りたくなと言う気持ちは、変な固定化を気にするからでしょう。
閉じる際には、一度は自分なりの総括が必要。
まだ総括をする時期ではないんでしょう。
発表しなければ仮で総括してもいいのかもしれません。
ブログの発表であれば、ちょっとつくってみるというのもありかもしれません。
ただ、選ぶという主体的な行為にしたい気持ちが出ています。
やりたいときにさっとやろう
やりたいときに実行することの大切さがあります。
気持ちが乗らないのにやるというのは、独立して主体性を全面に押し出した行動規範から外れるかなと。
やりたいことしかしたくないというわけではないです。
ただ、総括するには早いと感じます。
気持ちが乗るように動きたいです。