「ブログを書くことで、自分を見直せる」という先輩方のご意見があります。
自分でも比較的書き続けて感じることは、ここでいう「自分の見直し」は、
「できること」と「できないこと」の両方を認識することでした。
特にできないことを見直せるのは、アウトプット量としては物足りませんが、自己認識としては質が高いものです。
数が書けることは、自信と方向性
ブログ記事で、そのトピック関連の数が書けるというのは、自信と方向性につながります。
質は別の方が判断するとしても、ある程度の量が書けることがその分野の専門家として、一定の証明になるでしょうから。
例えばあるトピックで10個記事が書けた、100個書けた、というのは、その分野の専門家として見られる素養があると自分で判断できます。
量もどこかで質に転換しますから。
数を数えて多ければ、客観的な自信につなげられます。
また、ある程度の記事の量が貯れば、まとめ記事としてその数ある中からよりすぐりをオススメする記事も書けます。
書けないことは、進んではいけない場所の指標になる
上記のように「書けること」は進む方向の指標になる一方、「書けないこと」の方も、ブログを続けているとよい指標になると感じることがあります。
書けない時間は、アウトプットがない時間のまとまりになってしまいます。
そうすると、生産的な時間ではありません。
非効率的な時間ともいえます。
しかし、書けない時間は書けない自分と向き合う時間にもなります。
その分野でネタを出そうとしても出てこないということは、知識・経験・情熱など、その書けなかった分野に対して何かが足りないことがわかります。
ないことを知ることはなかなか難しい。
ですから、このように進んではいけないトピックの方向性がわかるのは、とても有益です。
書けない時間を嫌悪するだけではもったいないです。
次回に活かして、その分野に入り込まないように、他の分野に進むように、一つの指標として扱うことが可能です。
書けないことから遠ざかれば特化できる
書けないことは、書かないようにしてまとめるようにすれば、特化したブログを作れるようになってきます。
特化したブログを目指すものの、最初から専門的なブログを書けないことも多いです。
でも、進んではいけないネタをまとめていけば、書ける方向も明確になってきます。
よく提供できる価値を明らかにしたといえます。
効率的に書ける内容をはっきりさせたともいえます。
書けない時間を「嫌悪」「非生産的」として気落ちするよりも、書けない時間はそれだけ自分と向き合ったと解釈できます。
特に特化する上で行ってはいけない方向を明らかにすることができると考えれば、そこそこの時間のはず。
うまく書けないことが増えてきた方は、行動の有益さを理解する理由として使ってみていただけるとうれしいです。
【編集後記】
育てつつも22年卒の新卒採用など。
1年間コロナ禍下で授業を受けてきている方々で、ビデオ会議はそこらの社会人よりよっぽど慣れている様子でした。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○ サプリ○
【子育て日記(3歳・0歳)】
少しもれてしまったので、下の子の洋服を漂白してから洗濯しました。
最低限で済んだのでありがたかったです。