外から見た評価に気づく価値

自分から少し遠い方にコンサルをしてもらう場合があります。
また、コンサルではなくても、なにかお手伝いをしてもらう場合があります。

このときに一つ価値を感じることは、その方から見た私の評価です。

存在していたけれども、自分が価値と感じていなかったところに言及をもらうことが、その評価での価値でした。
外から見た当たり前の評価に気づく価値は、節目であったり方向性を考える際にとても大切です。

 

*ハロウィン仕様のミスタードーナツ

 

もくじ

「外から見た価値」と「中から見た価値」

強みやブランディングを求めていると「外からの価値に気づくこと」が必要になってきます。

自分で価値について提供価値やすでに存在している価値について言語化することを努めます。
実践したところ、一般的な価値については言及してくれる書籍や人はさっと見つかりました。

でも、私特有の価値について言語化してくれるサービスや場面というのは、すぐには見つかりませんでした。
自分で言語化しても、その点は本当に自分特有の価値なのか、迷います。

「自分をもっと開示して気づくことを示してもらえばいいのではないか?」と、指摘を受けるかもしれません。

やってみました。

でも、私がまとめたことの、さらなるまとめをもらうだけの場合があり、新しく気づくことにつながりませんでした。
それは、結局中から見た価値をもう一度まとめただけで、外から見た価値の提供ではなかったのです。

「中から見た価値」と「外から見た価値」の違いは、どこかにあるのでしょうが、結局どこだったのか。

いうがやすしですが、「外から見た価値」は、その方の考え、もっといえば世界観の中に私を取り込んで回答してくれたときに出てくるという要因を考えつきました。

 

自分では当然の価値に気づく価値

自分についての外から見た価値を探求し続けると、ようやくそれらを提供いただけました。
先ほど述べたような、発話者の世界観からの表現であったため、内容に納得しました。

ただ、自分では当然と考えていた内容でもありました。
当然過ぎて、自分の中には存在しているとわかっていても、価値と認めていないものでした。

「僕が一番欲しかったもの」ではないですが、身近にある価値を言語化することの価値があると認識できました。
自分にとって当然なものは、空気のように自分が何かをしなくても、達成し続けているほどに習得をしているものです。

こうやって考えを深めて探していく上で、外から見た評価に触れるのは、自分では当然と考えていた価値に気づかされる結果になりました。

 

提供するでも、提供される場合に狙う価値

外から見た評価に気づくことは、身近にある価値に気づくことです。
提供されたかったと考えていたものですから、他にもほしいと考える方がいるでしょう。

相談を受けるときには、あなたの専門知識はもちろん誰かの役に立ちます。
でも、そのような専門性だけではなく、相談を受けているあなたは相談をしている誰かではないという点が活かせます。

提供する場合でも、提供する場合でも、こういった観点の整理は役に立ちます。
どこかへ助言をする際には、こういった立ち位置を置いてアドバイスをすると深みを増せます。

小さくても、なにかで助言をされている方の、立ち位置の整理に役立てればうれしいです。

 

【編集後記】
サムライエッグを見ました。
子どもにもわかりやすく表現がされていましたし、途中の描写は子どもから見たような視線の高さや世界観になっているのかなと感じさせられます。
アレルギーを理解する意味でいい教材でした。18分ですし。

【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○

【子育て日記(4歳・0歳)】
サムライエッグの映像を見ているときに、動かなくなっているハトが。

「ハトさん死んじゃったの?」
「なんで?」と。
具体的に教えてはないのですが、「死」の概念はもう存在してくるんだなと。

色々思うところはありましたが、
「そうだね」と、想像できる理由と合わせて伝えました。

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