人の意見を聞かない人がいます。
「聞かない」とは、
- 説明を物理的に聞かない人
- 説明をしても、理解しない人
- 説明を理解しても、その内容を否定する人
の3つの意味があるでしょう。
こういう人に意見を求められても、つらいところです。
こういう人が本当に求めているものは、自分のやりたいことを補強してくれる意見だけです。
原資が限られているもののムダづかいは許されなくなっている
料理で言えば、せっかくつくったのに食べてもらえないのと同様だからです。
一昔前なら、「カネを払ったんだからどうしようとこちらの自由」という言い分もあるでしょう。
でも、SDGsの流れで、ムダは個人の自由との主張は通らなくなっています。
原資が限られてる対象を大切に使おうという考えからです。
個人のサービス提供も、「時間」という大きな制約がありますから、原資が限られているます。
だから、どういう人に提供するか、これからは考える時代です。
良いサービスほどに、提供される人を選ぶ傾向があります。
サービスは時間の制約を伴うものでだからです。
最終的には提供をやめることが提供側の解
「聞かない」に対して最終的に行き着くところは、提供をやめることです。
物理的に聞かない人でも、説明を理解しない人でも、その内容を否定する人でも、ムダと感じたら提供側の気持ちが続きません。
提供者をとっかえひっかえしたり、組織体制で提供をしたりすることで提供継続はできるでしょう。
これは組織の場合。
ひとりで提供している場合は、提供する必要性がなくなれば、別の人に提供をします。
サービスを受ける人に否定されつつサービスを提供することの苦痛さがどれほど大きいのか。
本当にほしいものは、補強意見と理解すれば気は楽
最終的な選択肢はやめることとしても、では、聞いても否定する人は結局何を求めているのでしょう。
それは、「意見を補強する意見」だけなのでしす。
事例として、
意見を聞かれる
↓
完全にアドバイスをして、オススメすること・オススメしないことまで提供する
↓
なぜか、オススメしないことを選択する。
といったことをされたことがあります。
一度でなく、何度もありました。
何を求めているのだろうか、疑問に感じました。
わたしを否定することに悦を感じるためでもないでしょうし、かといって、従わない意見を聞くのにわざわざ時間を割いて。
ムダなことをが好きなわけでもないでしょうし。
行き着いた答えは、自分の好みの意見が出ないか試していただけということでした。
サイコロを振るだけムダな気もします。
重力に逆らうことが通常起こらないように、市場原理に逆らうことも通常起こりません。
何か仕掛けない限り、通常以外の条件下になることもあまりないです。
そんなムダをしても、自分の意見を補強する何かがほしいのです。
似た状況を経験してはいませんか?
否定するのに意見を聞きたがる人はいませんか?
こういう人たちが本当にほしいものは、自分の意見を補強する意見だけです。
こんな状況に陥ってしまったら、相手の求めるものを理解して、自分たちストレスを下げましょう。
一生懸命に求めに応じても、ほしいものを与えられないので。
【編集後記】
契約書の読み込みが一段落。
重めの内容なので、集中力を使いました。
【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○
【子育て日記(4歳・1歳)】
家電屋さんで鬼滅がちらっと流れていて、
「見たい?」と聞くと、
「かおが こわいから みたくない」と。
この年代の正常な反応と感じます。